気分やさんの気ままなブログ

【改善できるんだなあ】

 以前にやったインタビューゲームでのことですが、もう1つ今までとは違ったことがありました。それは文章を時間内で書ききるということでした。

 

 インタビューゲームのカードを書き上げるのは、インタビューをした時間と同じ20分で基本的に行います。ですが、僕とインタビューゲームをやったことがある方はご存知だと思いますが、これまでは1度たりともいつもその後の休憩時間まで入り込んでしか書き上げられませんでした。

 

 しかし、書き上げる時間のことで疑問を持ったのが前々回のインタビューゲームでのことでした。その時が一番書くペースが遅くて20分経ったところでカードの半分までしかかけていませんでした。でしたが、残りを書き上げたのはそれから10分少々だったのです。書いた量は同じなのにどうしてこれほども早さが違うのか、そう思ったのでした。そして気づいたのは、いわゆるラストスパートを自分自身でかけていたのが延長時間に入ってからだったということです。

 

 そこで今回はもっと早くからスパートをかけたらどうかということでした。とはいってもさすがに最初からスパートはかからないだろうから5分過ぎたら自分に言い聞かせようと作戦を立てたのです。その結果時間内に書き上げることができたのです。

 

 このように自分のクセに気づいて単純に解消できることもあればもっと離れた地点からテコ入れをしなければならないことだってあります。ただ、感じてとりあえず対応策を試してみるということが大切だと思いました。

【型があっての型破り】

 昨日書いたように、数学を解くことを中心に今の自分のスタイルはというと「型がない」という型になっています。その時々によって自分の状態は異なるため、その時の自分に合った型でやるということです。

 

 このようなやり方は「型破り」となってくるわけです。ですが「型破り」というのは型を身につけた上でできるようになることであると考えています。昔の思い出話ですが、小学生の頃に始めたばかりの自分が祖父と将棋を指した対局で、相手の陣地のど真ん中である5三の地点に飛車・角・銀2枚・桂馬2枚をつぎ込んで攻めようとしたことがありました。数の暴力ですね(笑) 将棋をやったことがある人は1度は考えたことないですか?ですが1回は決まったものの、次からはうまく対応されて決まらなかったのでした。結局は駒の連携であったり攻めと守りのバランスなど将棋の基本がなっていなかったのです。同じように剣道みたいな型があるスポーツでも、いわゆる不意打ちといったようなものはせいぜいビギナーズラック程度にしか決まらないのではないでしょうか?

 

 数学だって同じなわけです。まずは途中式を正しい書き方で省略せずに書けるようになることが数学でいう型を習得することなのです。その上で省略したり今の自分のように自分にとってやりやすいように書くことで型破りすることができてくると思っています。

【「らくプリ」その28ー気ままに計算をする】

 このブログのタイトルにもなっている「気分やさん」で「気まま」。最近、らくだプリントをやっていても自分のスタイルは気ままなのだと感じています。

 

 どういうことかというと計算するための途中式のスタイルがその時の状態によって変化するのです。日によって変わることもあれば、同じプリントの同じ形の問題でも同じとは限らないのです。ある問題で途中式をバカ丁寧に書けば①~③まであるとするとダイレクトで途中式を入れずに答えが出せる時もあればそれだと少しやりにくさを感じて①を入れたり、次の日になれば①だった途中式が①のかわりに②になったりすることもあります。

 

 特に多いのは解き始めからの変化です。走るにしても走り出した瞬間に足が速く回せてトップスピードになることがないように計算でも最初から途中式なしで暗算で解こうとすると空回りしてこけるのです。数問やると感覚がつかめて頭も回転して暗算でも安定してできるようになるのです。

 

 これは本当にごく最近のことで学校に通っていた頃にそうだったかというと、考えたこともない訳ですからきっとなんとかなっていたのでしょう。ですが、そのように戻りたいこともないわけではないですが、老い、とは思いたくないですが、変化していると捉えればこの変化に合わせることが今は自然なように思えています。

【「らくプリ」その27-できるからこその難しさ】

 久しぶりにらくだプリントの投稿をしようと思います。少し前まで無理数、ルートをやっていました。

 

 昔に積み重ねたものがあり、ルートの中を小さくするということは即座にできたのでした。時間も目安をはるかに上回りミスもよほどのことがない限りしない、そんな状態でした。

 

 ですが、やっていながら1つの違和感を感じたのでした。それはどうもシャーペンがプリントに引っかかるのです。もちろんプリントもシャーペンも変えたわけではありませんし行う場所も変わっていません。書くのに力が入っていたのでした。自分の中でここは余裕という気持ちがありましたが、それが余計な力が入ることにつながっていたのです。

 

 できるようにならなければ自然体になることはできませんが、できるようになれば必ず自然体になれるというわけではないようです。自然体というのはそれほど難しいことなのです。

【「インタビューゲームのルール」から考えるルール作り】

 昨日の投稿、インタビューゲームをやっての話の続きです。

 

今一度、ルールについてはコチラ

 

 今回が初めてのホスト役ということで自分でルール説明の用紙を準備しました。これまで自分がやってきた時に使ったものを作るにあたって参考にしたはしたのですが、それでも打ち込むという作業によってすべてのルールを一字一句、全部に目を通すことになったわけです。すると何度もやってきたとはいえ意識していなかったことや書いてあるとは知らなかったことがあったのでした。例えばカードに書かれた内容に関してで、第3者に知られたくないことが書かれていたら削除をしてもらうといったことが書いてありましたが、実はこういうことも書いてあったんだと思いました。

 

 そして振り返りの時にもインタビューゲームのこのルールのことが焦点にもなったのでした。例えばこれは以前にも書いた話ですが、最初のルールとして

①「聞く自由」(何を聞いてもいい)

②「話さない自由」(聞いてきたことに対して答えなくてもいい)

③「話す自由」(質問されていなくても話していい)

とこの順で設けられています。ではこの順番が逆(「話す自由」→「話さない自由」→「聞く自由」)となっていたらどうでしょう?これは普段の会話、あるいはどんよりした会議とかアブナイ会議の様子ではないでしょうか?(笑)(聞き手・話し手が分かれているのがまだ完全には同一でないか)

 

 そしてですが、カードの書き方に関するルールを参考にしたものとは少し順番を組み替えてみました。変えた方が説明の流れとしてよくなるのではと思ったからです。ただ、しっかり深くまで考えられているものということでもとの順番に何か意図があるのではないかとも思っていました。そのことを聞いてみたところ、もうちょっと別の並べ方をした方が自然だと思ったそうです。ですので今度はそれを取り入れようと思います。

 

 そしてこのルールの作られ方はどのような場でも生かせると思っています。インタビューゲームにはルールと注意事項があり、ルールは「自由」(できること・やっていいこと)、注意事項は「推奨」(守った方が充実したワークになるだろうというもの)の2つがあります。ですが注意事項は、数やっていくと知っていくことになるのですが暗黙のルール(書かれていない、守りきれない)部分があるのです。例えば「聞き手は聞くことに徹する」ということが書かれています。ですが、聞くにあたってうなずき・あいづち、さらには「分かる!」と声を発しての共感をすることだってあります。すると「これって話していない?」と思えてくるのです。つまり「聞く」の線引きはと思えてくるのです。他には話し手が聞くことに関して何も与えらえていないのです。「聞かないように」とも「聞いていい」とも書かれていないのです。

 

 じゃあ厳密にルール化する必要があるのでは?必ずそうとは思いません。暗黙のルールは暗黙のルールのままでもいいことがあると思います。子どもの気持ちになってみてください。何か問題を起こしました。しかしそれはルールにないことでした。そこでそれはダメだとルールを作りました。さあ子どもの気持ちはどうで次にはどのようなことが起きうるでしょうか?「うっざ!じゃあこんなことやってやろー!」こんな気持ちになって次の問題行動を起こしてしまうのではないでしょうか?この流れって結局は完全に解決することってないんですよね。解決できないのです。ですからルールを厳密化していくのは無駄なことがけっこう多いのではないかと思います。(場合によっては厳密化する方がいい場合もあるとも思っています。)暗黙のルールに手をつけた時、このインタビューゲームはやりながら両者の間で合意形成が生まれるのです。例えば声を出して共感したとします。これに対して相手も否定することはまずないです。相手を受容します。そして自分もやってみようということになることがあります。そうなれば言葉を交わさずとも「うなづきはOK」というルールができているのです。それが振り返りで出れば表面化されて暗黙から正式なルールに昇華されるわけです。長くなりましたが相手の行為を否定するか受容するかが大きな分かれ目なのではないでしょうか。

 

 昨日はルールの用紙を相手の方があまり見ていなかったことに対して自作だから見てほしいという気持ちが強いと思っていたのですが、改めて考えたらルールが深いことを感じてもらいたかったのではないかとも思いました。