気分やさんの気ままなブログ

【まだ習っていないやり方でやってみたら】

【連続投稿16日目 1537投稿目】

【作成日時:3/26 16:55~17:27、32分】

 

【らくだプリント 小6-24(1(続き)~3枚目)】

 

 かっこのある四則混合の問題ですが、以前の投稿でも書いたように小学生と中学生では捉え方や解き方が異なる部分があります。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

かっこがついている部分の扱い方について、小学校では先に計算するものとなっています。

それに対して中学になると先に計算するものということに加えて分配法則というテクニックを得ます。

かっこの中の部分を計算しなくても、かっこの外についているものをかっこの中にあるもの1つ1つに作用させることで「かっこを外す」ことができるという方法です。

 

 そして僕は本来このプリントの段階ではやっていない、かっこを外す方法を使って解きました。

ですがその解き方をらくだプリントを作った平井雷太さんはおそらく想定していないでしょう。

もしかしたら想定しているかもしれませんが、少なくとも「かっこを外す解き方」のためではないはずです。

するとこのようなことがありうるのです。

この問題を間違えてしまったわけですが、なぜ間違えたのでしょう?

途中式を省略して暗算している部分もありますが、かっこを外して解いたのです。

ですが

この*の部分の扱いが厄介なのです。

かっこを外すとなるとこの項の符号を考える必要があるわけですが、

この赤のマイナスの符号が作用することになり、青のマイナスの符号は関係するようでしません。

式のでき方からすれば「5」と符号が同じになるのですが、そのように考えていては時間ロスになる上に自分のリズムを損ないます。

そして「5」の符号の判断は式の中の左の方にあるので式を左から順に追っているということもあってたやすいのに対して、*は右の方にあって離れているのです。

なので間違えやすいのです。

 

 ですがそもそもこの段階での解き方である「(小)かっこから先に計算する」解き方に沿ってやればさっきのような話にはならなかったのです。

逆にいえば中学に入って分配法則が登場したらこのような形の式はめったに登場しないでしょう。

登場することがあるならば「策士、策に溺れるな」というメッセージを伝えたい問題ではないかと思います。

 

 その段階に応じたやり方で解くべきであるとは露も思っていませんが、意識する必要があることが増えて複雑にはなるように思います。

 

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3/10(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾

【かっこの計算で算数・数学が嫌いになりうる(その1)】

【連続投稿15日目 1536投稿目】

【作成日時:4/2 15:54~16:31、37分】

 

【らくだプリント 小6-24(1枚目)】

 

 1つ前のプリントもかっこのある四則計算でしたが、今回のプリントでは中かっこだけでなく大かっこも出てきます。

ところで、いつだったかは覚えていないものの5年前には既に考えていたことですが、算数・数学の嫌いになる単元はどこだろうかと考えたことがあります。

小学校の算数の範囲で考えると主な内容として、文章題、割り算、小数、分数、図形、そして今もやっているかっこのある計算なのではないかと思うのです。

ここでは1つ1つに言及しませんがそれぞれに理由はあると思っています。

今回のかっこのところですが、実はかっこの苦手が本格化するのはもう少し先のことになります。

おそらくそこのらくだプリントをやることになった時に、今回の投稿を引用してまた書くことになるでしょう。

ですから今回の投稿は来たるその時に向けての伏線ともいえることでしょう。

 

 かっこのある計算の厄介なところは、それまでも含めた計算ルールの複雑さと計算の手順の多さでしょう。

まず計算ルールについては、ごちゃごちゃとしたルールが追加されて続いていくことです。

これまでも分数の計算などややこしいルールのある計算はありました。

ただ分数についてはせいぜい分数の割り算は逆数に直して、あとは分数のかけ算、といったように前のことが身につけば1つ対応できれば済むようになります。

一方で今やっているところはどうでしょうか?

ここまでをたどっても、

・+-よりも×÷が先(①)

+・かっこを先に計算する(②)

+・(〔〕よりも){}かっこよりも小かっこを先に計算する(③)

というようになります。

しかも、

のような問題だと③に加えて①も踏まえる必要があります。

式の見抜き方があまり身についていない人からすればどこに注目すればいいか分からないでしょう。

そして手順の多さです。

中学の分配法則でかっこを外すということができるようになれば1度にまとめて計算することができるようになる部分がありはします。

ですがそれでも上の問題にはかけ算が混ざっていることで先に計算が必要な部分があります。

すると1度で計算することはできず、何手順かの計算が必要になってきます。

すると途中式も書くことになりますし、問題を解くことの爽快感も小さくなるのです。

爽快感が小さいということは逆にいえばストレスが強くなるということになります。

これがこの単元でイヤになる理由ではないかと考えています。

 

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3/10(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾

【なぜ課題の終わりを気にするのか?】

【連続投稿14日目 1535投稿目】

【作成日時:4/3 17:02~18:22、80分 ※別ごとしながら 】

 

 パルルでの活動である「学びのわ」でのこと。

先週は今月から高校1年生になる2人が学校から春休みの宿題が出されたので持ってきていました。

高校入学恒例の春休みの宿題から学力テストの流れですね。

 

 2人は別の高校に進んだのでもらった宿題は異なります。

ですが2人とも共通した行動を取りました。

それは課題がどれだけあるかと終わりを確認したことです。

この時にふと、なぜ2人とも課題の終わりを気にしたのだろうと、疑問が生まれました。

ここからは推測での話になりますが、4つのことを思いました。

 

 1つ目は取り組むことへの集中力があまりなくなってしまっていることです。

これは簡単な話で、取り組むことに集中していたらひたすら取り組み続けているはずだということです。

集中力が落ちるから別のことに意識が向かいます。

 

 2つ目は「終わり」を知りたいのではないかと思いました。

人は予測できない先のこと、未来に対して不安になることがよくあります。

今回でいえば、この課題がちゃんと終えられるだろうかという不安です。

そして3つ目は、終わりが「遠いもの」であることです。

目の前のことであったりすぐに終わるようなことであれば、終わりを気にすることはないかと思います。

しかしながらこの「遠いもの」であることは、終わりを確認する前に分かっていることなのではないでしょうか。

にもかかわらず終わりを確認しているのです。

そして終わりを確認しても遠いものであることには変わりませんから落ち込みます。

それは無意識レベルで語れば、遠いものであることを認めたくない、自分の手中に収めたい、けれども無意識での遠いものという知覚を意識なものに引き上げただけになってしまうのではないでしょうか。

分かりにくい話になってきましたが、結局は自覚していなかった「遠いもの」であることを、終わりを見たことで「遠いもの」と自覚したこととなったのです。

ある意味、確認するという行為は達成されたのです。

ですが返ってきたことは自分の願望とは真逆のことなので、落ち込むことになるのです。

気は晴れません。

ですから確認した後にペースが上がるかというと、実際も上がりませんでした。

 

 そろそろ4つ目の推測に移りましょう。

4つ目のこれが一番の前提になるのでしょうが、やりきりたいと思っているということです。

やりきりたいから「遠いもの」でなくしたい、そのために終わりを把握しようとするというわけです。

本当にやりきろうとさえしていない人ならば、課題をほったらかしておくことでしょう(笑)

ほったらかす前に終わりを確認するでしょうか?

 

 僕もその場面を見た時にはなぜだろうかという疑問が生まれただけで、この投稿を書きながらひも解きました。

じっくり見つめてみたからこそここまでのことを考えることができました。

 

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3/10(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾

【2週間連続で個別インタビューゲームを!】

【連続投稿13日目 1534投稿目】

【作成日時:4/2 16:37~17:39、62分 】

 

 先週と先々週に1回ずつ個別でインタビューゲームをやりました。

それぞれオンラインと対面と、やり方は違いましたがどちらも味わい深いインタビューゲームになりました。

対面の方については感想も書いてもらいましたし、オンラインの方もメッセージで簡単に感想を送ってくれたので紹介しようと思います。

 

・いつも思うのだが、相手に対して、面接だったり、面談だったり、尋問だったりの意識で臨んでしまってそれがくせとして出てきてしまった。特に相手に対して時系列で履歴書を作ったり、調書を書いたりする場面のようになってしまって、自分自身か、相手との融合によって、交って、それを楽しむようなインタビューになってなかったりすることに気づいた。

やりたいのは、もっと1つのことを掘り下げて、聞いてみたいと心から思った。(Kさん)

・いまふと思ったことですが、私は相手に正確にわかってもらうことをあんまり期待してないなと思いました。「正確ってなんだ?」ということもありますが、ちゃんとわかって欲しいとこだわってたのは昔の話で、自分の思った通りには理解されないものなんだなという経験を積み重ねてあんまりそれを期待しなくなりましたね。

ただ期待しない反面、自分のことを知ってもらおうとか、相手のことを細々知りたいという気持ちもとても薄くなって、これってどうなんだろう?とも思っています。(Yさん)

 

 それでは、お二方それぞれのインタビューゲームで強く印象に残ったことを振り返ろうと思います。

 

タイトルの決まり方

 インタビューゲームのルール説明の用紙は自分で作成していますが、もともとは平井雷太さんが考案されたものになります。

そのようなこともあって、基本的には寺子屋塾の井上先生が作られているインタビューゲームのルールと同じ説明にしています。

しかしその当時から1つ腑に落ちなかった説明がありました。

それが他己紹介文の書き方についての

インパクトのあったフレーズやキーワードなどをもとにタイトルをつけます。

というタイトルのつけ方に関しての説明です。

確かに相手から聞いた言葉からタイトルにすることもあるのですが、どちらかというと相手の言葉ではないことをタイトルにしていることの方が多いような気がしています。

インタビューゲームのルールというのは「守らなければならないもの」なので捉われる必要はないのですが、相手の言葉から選ぶということになっていたのにしっくり来ていませんでした。

しかし今回は相手の言葉から選ぶつもりだったわけではなかったのですが、結果として相手の言葉をタイトルに使っていたのでした。

相手の言葉をタイトルにした、のではなく、相手の言葉がタイトルになっていた、のです。

タイトルはそのように決まるということが伝えたいのだと思ってみると、上の説明の理解ができた感じがしました。

もしかすると

インパクトのあったフレーズやキーワードなどをもとにタイトルがつきます。

ということなのかもしれないなと思いました。

 

誰に対して他己紹介文を書いているか

 他己紹介文を書く時に意識していることやこだわっていることの話になりました。

相手の人はインタビュー相手へのエールとして書いていると言われていました。

そこまでであれば、僕も一時期は相手の人に伝えたいことや気づいてもらいたいことを含めて書いていた時のことのようだと思ったので共感する部分がありました。

ですが相手の人は、他己紹介文は相手の人に伝わるものであればいいと、自分と相手とは別の第3者に対してではなく相手の人に対して書いているのでした。

僕はこれまで他己紹介文を相手か第3者に対して伝えるものかという観点はもっていませんでした。

実際には全くないわけではないかもしれません。

というのは、「相手になりきったつもりで書く自己紹介文」ですから自己紹介となると自分のことを知らない人にすること、ということは無意識下で考えていたことかもしれません。

そうであれば相手の人が知らない人への自己紹介、それは僕からすれば第3者ということになるのでしょうが、それをはっきり意識していたわけではありません。

ただこの振り返りが出て、確かに相手に伝わるように書くか第3者に伝わるように書くかでは言葉の選び方が変わるだろうと思いました。

 

楽しいからインタビューゲームをやり続けている

 他己紹介文で相手にどのようにまとめてほしかったという振り返りが出てきたからこそ初めて思ったことになります。

僕は何年前にやった〇回目から相手にこうまとめてほしかったとか、逆に自分の話が相手に正しく伝えられなかったと自分を責めることがなくなりました。

むしろ今回の話し方では相手にこう伝わったのだな、この部分が印象に残ったんだな、と思うようになりました。

おそらくですが、今でもずっと相手に期待していたり自分を責めていたりしていたらきっとここまでインタビューゲームを続けてはいなかったのではないかと思いました。

だって44回毎回期待どおりにならなかったり自分を責めたりしていたら病むでしょう(笑)

だからこれまで44回のインタビューゲームを楽しく続けることができているのだと思います。

 

こちらはリアルでやったKさんとの振り返りのふせんになります。

 

 

 ということで今回の2回はどちらも今までにはない観点からインタビューゲームを見つめることとなりました。

個別でのインタビューゲームはいつでもお受けしていますので、やってみたい人はお声がけください。

それと、久しぶりにインタビューゲーム会をやろうかと思っています。

まだ日程は決まっていませんが6月の土日のどこかで寺子屋塾で開催する予定です。

可能であれば参加希望者に日程を合わせられたらとも思っていますので、こちらももし気になる人はご連絡ください。

 

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3/10(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾

【今流行っている猫ミームは昔ながら?】

【連続投稿12日目 1533投稿目】

【作成日時:4/1 23:14~23:37、23分 】

 

 巷で「猫ミーム」というものが話題になっています。

流行に疎い僕ですが、フリースクールで子どもたちが話していたところから知りました。

その動画を見てみると、いわゆる音ハメコラージュのネタで、僕はそこまでハマりはしなかったものの確かに好きな人は好きになるのだろうとは思えました。

 

 ただ見ていて、どこか既視感というか似たようなものがあったような気がしたのです。

そして気づいたのが、かつてあった「2ちゃんねる」のキャラクターと関連したパロディです。

つまり今はなきフラッシュを活用した作品が人気を博していた時代です。

2ちゃんねる」のコンテンツで、アスキーアートというコンピュータ上の文字や記号を組み合わせた絵でキャラクターが生まれて人気になっていました。

そう、これもネコがモチーフのキャラクターがとても多いのです。

そしてこのキャラクターたちが登場する動画を作り、音楽や別コンテンツと組み合わせたものが流行しました。

www.youtube.com

知っている人は「恋のマイアヒ」なんて懐かしいのではないでしょうか?

 

 動画編集技術も進化して作られ方は変わっていますが、発想やコラージュのさせ方は昔から変わらず共通しているところがあるのではないでしょうか。

 

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3/10(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾

【乱れていたことが目に見えるところに表れた3月】

【連続投稿11日目 1532投稿目】

【作成日時:3/31 14:50~15:29、39分 】

 

 今年度も今日が最後ということになりますね。

例年であればすでに咲き誇っているはずの桜は、今年はまだちらほらと咲いているような状態ですね。

こちらの開花予想ですと、4/4に満開との予想がされています。

sakura.weathermap.jp

去年は3/27、例年も4/2なのでやはり遅めの開花であることに違いないようです。

ただ入学式の景色を飾るものとしては久しぶりに役目を大いに果たしてくれることになりそうですね(^ ^)

前談が長くなりましたが今月のことを振り返ろうと思います。

 

 先月の振り返りでは今月は落ち着くようになっていくと思っていたのですが、先月の流れのままに変に忙しさがあった3月でした。

大曽根の活動で新しく動き始めたものがあったり、パルルでの受験お疲れ様会に向けて動いたことであったり、インタビューゲームがあったりということはありました。

そのため予定がない日であってもブログを書き溜めることに充てたり、連絡ごとをまとめて片づけたりということに使いました。

あと来月に計画している旅行の計画にも時間を費やしていました。

その結果、今月はほとんど本を読む時間が取ることができませんでした。

来月は今月よりも読めるといいのですが・・・。

遠出をした時に電車に乗っている時間が長いのでその時に読み進められるか、ということになりそうです。

 

 本をどれほど読めたか以上に今月の様子が表れているものがあります。

それは毎日取り組むらくだプリントの記録表です。

僕としては1か月のうちで4日もやっていない日があるというのは大事態です。

このうち3日はやることを忘れていて、1日は覚えていながらも早く寝て習慣を整えることを優先して「やらない」選択をしました。

やらない選択を取ることになったのは僕としては特に見直す必要がある場面だと感じました。

 

 そしてもう1つ課題に感じているのがこのブログの投稿、それからインスタグラムの毎日投稿です。

義務的に投稿するようになってきてしまっているように感じます。

そういえばブログの毎日連続投稿も途切れてしまいましたし。

気分で書いていないというのは一大事です!

ブログの記事は時間の早さの波に飲まれて文章も走り書きしてしまっているような感じです。

インスタグラムについては「今日はこれを投稿しよう」と、その日の早いうちに考えておくことがほとんどなくなってしまいました。

そして夜にまだ考えていなかったことに気づき、アイデアをひねり出してなんとか投稿するということになってしまっています。

どうしたら時間に奪われている主導権を自分に取り戻せるか、来月は考えたいと思います。

 

 考えてみると毎年2・3月は思うような過ごし方ができず心が不安定になっているような気がします。

それともそういう時期なのでしょうかね?

 

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3/10(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾

【IDGsというものを知りました!(後編)】

【連続投稿10日目 1531投稿目】

【作成日時:3/30 14:26~15:16、50分 】

 

 昨日に引き続きIDGsというものを学んで考えたことを書いていきます。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

昨日はSDGsと比較してIDGsのゴールが少なくて分かりやすいことを書きました。

今日はこの考え方自体に対して僕が感じたことから書いていこうと思います。

 

 SDGsはいわば「コトモノ」に着眼点を置いていたのに対して、IDGsは人の内面に目を移したといえます。

それは僕も特に見つめている部分で、日々の中で意識したり深めたり、起きたことを捉えるための重要な素材となっています。

一昨日の投稿ではパルルでの受験お疲れ様会をやったことを書きました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

この「学びのわ」の取り組みの価値を見定めるうえでは、「コトモノ」の中に存在している「見えないもの」を観ることが大切だと思っているのです。

何人集まって、何ができたか、お金が動いたか、みたいな実績とも言い換えられる、顕在するような「コトモノ」レベルで見ていても推し量れないことが非常にあるのです。

しかし「見えないもの」を観ること、さらにはそれを人と分かち合うことはとても難しいです。

「コトモノ」のように形として顕在しないものをどのようにすれば顕在化させられるかというと、その方法の1つとしては言葉でしょう。

ですが「見えないもの」は言葉にすることが難しいですし、たとえ同じ言葉であってもほかの人と捉え方にズレが生じていたりするものです。

現に僕は「見えないもの」を言葉に置き換える時にとても悩みます。

ですがこの見方に1つの基準や尺度といえるような「軸」ができれば分かち合う助けとなるはずです。

その役目をIDGsという考え方は果たせるのではないかと思ったのです。

 

 そしてただIDGsを理解するだけでなく実用するものにしていけないかと考えてもいます。

IDGsを組み込めないだろうかと考えているのが「定点観測会」です。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

定点観測していること自体はブログの記事であったりインスタグラムの投稿など「コトモノ」です。

しかしそれは表面上のことで、大切にしているのはその奥に潜在している自分自身の内面に気づくことです。

であればIDGsの軸で捉えることができるはずなのです。

まだ「定点観測会」を言葉で説明することがなかなかうまくできないということもあって、ならばIDGsという言語を組み込んでみたらどうかと思ったのです。

「見えないもの」を言葉ですべて表すことはできないでしょうが、今の自分には必要な武器なのではないかと思っています。

 

 まだ僕も入り口に立ったどころか眺めているような段階ですが、このIDGsを理解するにも時間を使いたいなと思っています。

 

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5/12(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋

【IDGsというものを知りました!(前編)】

【連続投稿9日目 1530投稿目】

【作成日時:3/29 16:08~17:40、92分 】

 

 2週間ほど前のことになりますが、IDGsという考え方を学びました。

 

 「SDGs」は今では少なくとも誰でも聞いたことはあるものであるかと思います。

SDGsは日本語にすると「持続可能な開発目標」であり、貧困、飢餓、健康、教育といった分野といえるような17の目標が設定されています。

しかし、これは僕個人の意見ですが、分かりやすいようで不便なように感じます。

どのような視点があるかいわばこの世界の大枠を捉えることには役割を果たしていて、認知度も高く広く知られていることまではいいと思います。

ですが17個のゴールすべてを意識するとなると「記憶」するという作業が必要になってこないでしょうか?僕は覚えられる気がしないです(笑)

またその17個の下にもっと砕いた169の課題があるのですが、結局何をしたらいいのかともなりかねません。

そして1つの世界に目標にもなっているあらゆることが存在しているわけですが、これらは独立しているわけではなくすべてつながっているものです。

連続体とでもいいましょうか。

そうなると分野を切り出して考えることで削り落とされることが生まれてしまうことが往々にあるのではないかと思います。

これも今回のイベントで知ったのですが、実際は17の目標というのは並立しているものではなく「ウェディングケーキモデル」という3つの層に分類される関係にあるようです。

引用:ストックホルムレジリエンスセンターHP

The SDGs wedding cake - Stockholm Resilience Centre

 

これを聞いてSDGsへの納得がもう少し持てました。

これを捉えない限りは本当の意味でSDGsの取り組みを達成することはできないでしょう。

しかしありがたいようで細かすぎるし難解であると感じます。

ですから理解できて可能な範囲で取り組む、となるのが多くの人の関の山となるところではないかと思います。

 

 SDGsの考え方ではこのように限界が来てしまう根本の原因は世界を中心に据えているからではないかと思います。

そこでようやく登場するのが「IDGs」というものです。

IDGsは「Inner Development Goals」という英語から来ていて「内面の成長目標」と日本語では言われています。

IDGsは人を中心とした考え方であり、人の内面の成長へのアプローチを強化することでSDGsが提唱する持続可能な開発を実現することを目指すものです。

そしてこちらもゴールと課題が設定されているのですが、ゴールは「Being(自分の有り方)」「Thinking(考える)」「Relating(つながりを意識する)」「Collaborating(協働する)」「Acting(行動する)」の5つで、その下にある課題は全部で23です。

課題まではさすがに難しいですがゴールはすんなりと入ってきそうです。

詳しくはこちらに書いてあるのを見つけましたが、ゴールの数が多くないだけでなく5つのゴールの関係も図化されています。

note.com

 

 分かりやすいものであるということが僕が気に入っている理由の1つであるのは間違いありません。

ただ、どうして僕がこのIDGsの考え方自体に関心を持つことができたかということを次に書こうと思いましたが長くなったので今日は一旦ここで区切ろうと思います。

続きは明日に書きますが、考え方に賛同する理由を考えるヒントはこれまでの投稿のあらゆる場所に散らばっているはずです。

僕が好きであることに察しがついた人は、よく僕のことを知っている人ですよ~(笑)

 

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今後のイベント予定

5/12(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋

【パルルで受験お疲れ様会をやりました!】

【連続投稿8日目 1529投稿目】

【作成日時:3/26 17:29~18:50、81分 ※途中で別ごとしながら】

 

 先週に毎週木曜日に行っているパルルで「受験お疲れ様会」を開きました。

開いた経緯についてはこちらの投稿の前半部分を読んでもらえたらと思います。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

 イベントの中で僕の想いを話させてもらったのですが、話したさすぎてついつい20分ほど話してしまいました(^ ^;)

それも、話したいことは事前に考えていながらも、原稿を用意していたわけでもなかったのでまとまりのない話になってしまいました。

つくづく僕は話すのが苦手というか、聞き手でこそ活きる人だなと思ったりもしました。

ただ参加者とも話してみて思ったこともあったので改めてこのブログでまとめておこうと思います。

 

家庭教師をしていたことからつながっている

 僕から声をかけた人も案内を見て来た人もいたのですが、声をかけたのはすでにパルルを知っていた人だけではありませんでした。

パルルに来たことはないけど以前に個人で家庭教師を依頼してくれた人も誘っていました。

お1人来てくれました。

今は個人での家庭教師は止まってしまっているのですが、それが去年9月の半ばでした。

それに対してこの勉強会が始まったのは11月に入ってからでした。

家庭教師が終わってからこれからの動きをどうしようかと考えていた時期だったわけです。

なので僕からすると形が変わりながらも活動が続いたわけです。

 

勉強だけでなくもっと先を考えるような学びの場にしたい

 パルルでの勉強会でしていたのは、来ていたのが中学3年生2人だったということもあって受験に対しての勉強になっていました。

しかしそれは僕が本当に大切にしたいことではなかったりします。

これも家庭教師としてやっていた時から続くことですが、僕が伝えたいことは一言で言えば「自らで自分の生き方を考えること」です。

今回のイベントの2週間前にその中学生の子からこんな質問をされました。

 

「どうしたら勉強って続けられますか?」

 

これを読んでいる方だったらどう答えてあげますか?僕としてはそれも聞いてみたいですね~。

この質問を聞いて僕は、これまでは何によって勉強を続けてきていたかと問いかけました。

 

 それから僕が専門としている教科ということで数学をやっていることがほとんどですが、僕は数学だけに制限してほしくないと思っています。

というより教科という捉え方自体が狭いことに思いますし、何なら大人が来ることがあってもいいと思っています。

自分でやることを選んでそれをやればいいのですから。

教えてもらう場ではなく、学ぶ場なのです。

 

お金以上の、お金に変えられない価値をもつ場

 じゃあパルルでなくても自分でやればいいと思う人もいるかもしれませんが、それはやっぱりパルルという場があったからこそ生まれたことなのです。

パルルがなければこの活動はおそらく生まれなかったでしょう。

お金をもらわずに実施できて、定着・定常化したということです。

場所だけ考えても、普通は場所代がかかります。

少なくともそれだけでお金を必ずいただかなければなくなってしまいます。

ですがパルルという人からの寄付で経営をしている場であり、そこに想いに賛同する人が集まる場だからこそできるのです。

僕は勉強会をお金をいただかずに行う判断をしたにあたって考えたのはお金だけではありません。

お金だけで考えれば僕もパルルもマイナスです。

ですがそれ以上に生まれるもの、財務としては扱われない資産があるのです。

 

「僕が」ではない

 話を戻して「教えてもらう場ではなく、学ぶ場なのです。」ということについてもう少し考えます。

ここまでずっとこの取り組みを「勉強会」と言ってきていましたが、正式な名前をつけたいと思っていました。

それを今回の参加者に相談したところ、何人かから「板塾」とか僕の名前を入れたものを提案されました。

ですが僕としてはちがうし、まだまだこれからだなと思ったのです。

僕が思い描くこの場は、僕が教えるところではなく、来た1人1人が集まった人と共に学ぶ場なのです。

いわば僕「も」学ぶ人なのです。

それに僕がいなければ成り立たないという場でなくなるのが好ましい方向だとも思います。

 

 だったら「学びのわ」はどうかと案が出ました。

「のわ」がパルルの運営も含めた活動全体の総称であり、のわの取り組みの中に「新栄のわ」など「〇〇のわ」という名前のものがあります。

シンプルながらも僕としては「学びのわ」がしっくりきました。

ということでこれからは「学びのわ」と呼んでいきます。

 

 これからも「学びのわ」は毎週木曜日の16時からパルルで開いています。

僕としては「学びのわ」に集まった人の中からプロジェクトが生まれるようなことまでなったらという理想ももっていたり。

18時以降はパルルのオーナーである新見さんの「もちより居酒屋」もやっています。

ぜひ遊びに来てみてください!

 






【抽象化して捉えることができたから】

【連続投稿7日目 1528投稿目】

【作成日時:3/25 ※計測忘れ】

 

【らくだプリント 小6-23(1枚目)】

 次のプリントに進んでの1枚目になります。

このプリントも何枚か繰り返すことになるだろうとは思っていました。

ですがやってみて思いがけないことが1つありました。

それは1枚目に取り組んだ際の時間です。

四則混合に入ってからでは、18番のプリントから時間がかかるようになったと感じました。

18番から22番のプリントの1枚目の所要時間(1問ごとのおよその時間)は、

18番:6分36秒(13秒)

19番:5分50秒(12秒)

20番:6分16秒(15.5秒)

21番:5分02秒(20秒)

22番:7分08秒(28.5秒)

でした。こう並べてみると20番から1問あたりにかかった時間が増加していることが分かります。

特に22番からは中かっこも登場することになったので大きくかかることになりました。

それが今回の23番では4分36秒で、1問あたりの時間については23秒と早くなったのです。

どうすれば1枚目から早くできるようになるかというテーマをもっていた自分としてはよかったです。

 

 一昨日の投稿では同じプリントの間で早くなったことに注目していたのに対して、これは異なるプリントの間での関係になります。

なぜ初見のプリントについても時間が早くなったのか考えてみると、それは「抽象化」が起こったのではないかと思います。

これまでにも1枚やってみてどうしたらもう1度同じ問題を解いた時に早くなるかということを考えました。

それだけでは同じ問題でしか対応できない、具体度が極めて高い話になります。

ですがプリントが進んで問題が難しくなっても考え方や捉え方については変わらない部分も実際にはあるはずです。

そのレベルでの観察ができていたのではないでしょうか。

 

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今後のイベント予定

5/12(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋