気分やさんの気ままなブログ

【心理的安全性の表と裏】

 先週に参加してきた即興芝居ワークショップの振り返りもこれで最後になります。

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【芝居という具体性】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

今回は今までとは変わってファシリテーションに関して考えたことを書こうと思います。

 

 最初の投稿でも書いたように久しぶりに知らない世界のワークショップに足を運びました。

ワークショップのはじめのうちはファシリテーション的な視点を意識しながら参加していました。

ですが「いまここ」に集中すること、それ以前に学びになることが大いにあったためそれから先は俯瞰する余裕はありませんでした。

 

 ただ、2日目の最後のワークでのことです。

両日とも最後にはペアで5分間ほど即興の芝居をしてみたのでした。

かくかくしかじかあって大トリになったのですが、最後だからということではないですが、遠慮なく僕なりの表現をしようと思いました。

しようと思ったというか心のままに芝居したらそうなっていたという方が適切でしょう。

見た人もでしょうが、僕自身もどうしてこのような芝居になったのか分かりませんでした。

結局その芝居を止めてからリセットしてもう1回やってみようかとなりました。

ということで2回やることになったのですが、僕の中で心に引っかかり続けたのはやっぱり1回目の自分の芝居でした。

遠慮なくやってみたのですよ。何かリミッターを外してというか思ったことをその大きさのまますべて出してみたのでした。

「爆発していた」という言葉が一番しっくりきます。

 

 さてここからはファシリテーションの話に入ろうと思います。

どうしてこの爆発的芝居に1回ストップがかかったのでしょうか?

もちろんやった僕へのフィードバックのためではあったでしょうがそれだけなのでしょうか?

これは主催者に直接確認していないですが、僕がファシリテーターだったとしたらと考えてみると同じく止めていただろうなと思いました。

なぜなら2日間の終わりとはいえはじめましての人が集っている、ワークショップを通して学びたいことは人によって異なる場だからです。

そして2人のワークながら対等性が担保できていない、そしてこのままワークショップ全体のクロージングとして適切かを考えると、僕でも1度止めて何かしらの手を打つと思いました。

一方で実際にやって思ったのは、遠慮なしに振る舞わないと得られない学びもあるということです。

こんな爆発的なことをすることができるかどうかというのは、場の心理的安全性によることなのだと思いました。

僕もワークショップを行う時にまず第一に考えているのが心理的安全性でした。

参加者にここは安全な場所だと思ってもらえて安心して場にいられるように思ってもらうことです。

しかし今回のことでその心理的安全性を敷くことが自由の保障ではなく制約、つまりその人らしさを縛るリミッターにもなってしまうのだと思ったのです。

だから今回の僕は裏を返せば、ファシリテーターをはじめとしたこの場にいる全員が暗に作り出していた心理的安全性を壊したともとれるわけです。

壊したことがいけないわけでも、心理的安全性を敷いていることがいけないわけでもありません。

何かを設定すれば何かが変わるということなのでしょう。

あと心理的安全性は、ファシリテーターが敷くものではなく、場に「在る」ものというようになっているのが自然なのでしょうね。

 

 このように心理的安全性のことを考えていて思い返されたことが「べてるの家」の話です。

べてるの家」の映像でミーティングをしている様子を見た時に、べてるみたいな様子に憧れました。

その理由はべてるの場には心理的安全性というものを、存在していないとまでは言わないですが、しかし敷こうとしてはいないからではないかと思いました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

 

 ということで即興芝居ワークショップの振り返りをしてきました。

ワークショップだけでなく、主催者のりょーちんさんとりょーちんさんが所属する演劇団「ロクディム」は全国を回っています。

よければどうぞ即興の芝居をご覧になってみてください。