気分やさんの気ままなブログ

【芝居という具体性】

 3日前から1泊2日で参加した即興芝居のワークショップの振り返りを書いています。

【即興芝居のワークショップに参加しました!】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

【心から湧きおこったものを素直に表現する】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

【心に浮かびおこる「心象図」と何も浮かばなかった時の「真っ白」】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ

 

 昨日は実際にはないものが心象図として見えたという話もしましたが、1日目に自分が一番得られたと思えたことだったように思います。

だからこそこの感覚を明日になって忘れてしまっていないようにと思ったわけです。

(一方で固執はせず”クラッシュ”が起きてもいいとも思っていたのですが(”クラッシュ”が何かは1日目の振り返りをご覧ください))

すると久しぶりにですが、神様はいたずらを仕掛けてくるのですよ。

明日もがんばるぞと思って寝るのですが寝つけないのです。

この時には1日目で得たことの振り返り、そして今回学んだことと今までの自分との再構築をしようと自分の頭がいつになくはたらいてしまったのです。

ワークショップ中は今までの自分を一旦手放したがゆえでしょうね。

1時頃に横になりましたが寝つけず、5時半になっていたことを確認した時にもう寝ることを諦めて起きて考えることにしました。

 

 ということで寝られない僕は頭の中で妄想演劇をし始めます(笑)

ワークショップでは2人1組で芝居をしましたが、別に1人でもできる話だなと思ったので、まずは妄想即興1人芝居が始まります。

自分が思って表出したことに対して次のことを上乗せしてと繰り返してみるのです。

しかししばらくすると、自分が2人に分かれます。

1人で2役を芝居し始めます。振る舞う役が変わるごとに立ち位置を変えて演じる、1人コントスタイルとでもいうのですかね。

そのストーリーがどのようなものだったかはその時限りだったので覚えていませんが、でもやっている時には頭の中でその映像が見えていたのでした。

 

 で、一旦寝たいなと思ったので「真っ白」を行使して一度芝居のことからは離れようと思いました。

ここで5時半になって寝るのを結局諦めるのですが、そこでネットニュースを見たのでした。

toyokeizai.net

勉強に関しての話でありドラゴン桜も引用されているのでおもしろそうだなと思って読み始めてみたのでした。

しかし引用されているマンガの部分にさしかかった時にまた芝居のことが頭に出てくるのです。

ワークショップでは台本のない芝居をやっているけど、ドラマやアニメのように台本・セリフが決まっているものを演じようとなるとどうなるのだろうかと。

マンガの場面になぞらえて僕なりにアフレコを頭の中でしてみたのです。

すると今までには考えたことがなかったことに触れられました。

それは台本のセリフやマンガの1コマ1コマというのは連続された中の切り出された1つだということです。数学的にいえば離散であるのです。

だからこそマンガの1コマと1コマを演劇によってつなげると静的なものが動的になり、補完されるものが何かしらあるのです。

身振りであったりボソッと漏れる声、間が生み出されたのです。

台本があるものを演じるということが少し分かったのと同時に、読むということがより深く考えられたように思いました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

以前にも「読む」ということについて書いたことがありますが、さらに深められた感じがします。

 

 2日間を通して心にあるものが前よりも見えるようになりましたが、見えるようにすることは同時に具体化させることでもあるように思いました。

今の自分は抽象性が強く、具体性が弱くてバランスが悪いと思っていました。

これはワークショップが終わっても普段から意識して練習したいことになりそうです。