気分やさんの気ままなブログ

【抽象化したはいいけど元に戻れない】

 月曜日から『言葉のズレと共感幻想』という本の読書会に参加したことから言葉やコミュニケーションについてのことを書いてきました。

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ところで読書会に参加した振り返りの記事の中で「今の僕自身の課題の1つが具体と抽象に関すること」ということを書きました。

今日はそのことから話を膨らませようと思います。

 

 僕の具体と抽象に関しての課題は何かというと、ほかにもありますがその1つが抽象化させた概念を元となった具体に戻れないことが多々あるのです。

おつかいで家からお店に行けたはいいけど帰り道が分からなくなったみたいなことです、迷子ですね(汗)

抽象化のすべてが具体から生まれるとは限らないかもしれませんが、具体なものがいくつかあり、それらに共通性や関連性を見出すことで抽象化が起こることがほとんどでしょう。

そして抽象化されたものがさらにほかの抽象化されたものとくっつくことでさらに抽象度の高い抽象化が起きるわけです。

抽象化が繰り返されると大元の具体とは距離が遠くなっていくのです。

これが多くなってくると、上の具体と抽象の図でいう中間層にあたる過程の部分は一種のウェブクラウドのように実態がつかみにくいものとなってくるのではないかと思っています。

すると過程が不明瞭になるので来た道を戻るのが困難になりえるのです。

これが今の自分の状態で感じていることです。

抽象化した概念をもっともらしく持っているはいいけどそれどこから来たんだっけとなっているわけです。

すると他者と話をする時に筋道立てて話したいけど僕自身が迷子になってしまうのです。

 

 そしてこの具体と抽象がピラミッド状の上下の階層となっているということがこの世界の在り方につながっているのではないかと思うのです。

そしてそれには数学が大いに関係していると思っている私論があるのですが、このシリーズの着地点として明日書こうと思います。