昨日までは僕が場づくりで意識していることを書きました。
今回は場づくりからは少しずらした視点からの話を書こうと思っていますが、これまでの話を読んでからの方がより理解できることもあるかと思います。
必要に応じて読み返してみてください。
【挑戦と学びの場であり続けているあいちワークショップギャザリング】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【場づくりで大切にしていること(その1)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【場づくりで大切にしていること(その2)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【場づくりで大切にしていること(その3)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
「場づくり」といってもいろんなものがあるかと思います。
例えば会議であったり、または地域活動での対話・交流の場であったり、運動会みたいなイベントも1種の場づくりであると言うこともできるでしょう。
その中でも僕が最も受け持つ「場づくり」はというと「学びの場」です。
すると学びの場を作るにあたって、そもそもどのように学びは生まれるのかということを理解する必要があると思います。
今回は学びの生まれ方について書こうと思います。
ただこのことが「学びの場」に限らずほかの類の場づくりにおいても結局はつながってくることではないかとも思っています。
今から書く考えは、実は途中までは元ネタというか人から学んだ内容になります。
その方は南山大学大学院でファシリテーションを専攻し、わかものの成長や社会参画などに関わりながら居場所づくりや地域づくりなどをしたり、わかもののコミュニティや意思決定を支えている方です。
僕のファシリテーションや場づくりの師といっても過言でもない、白川陽一さん(しらさん)です。
ただもうこの話を聞いたのがかれこれ5年半くらい前なので記憶違いなところもあるかもしれませんが、その方が言うには学びにはいくつかの段階があると言います。
1つ目は単純に「学ぶ」です。
主体的とはという話は置いておきますが、自分が学ぶ意志を持った上で学ぶことにあたります。
そして2つ目でいきなり一気に次元が上がります。
それは「学び方を学ぶ」です。
これはどのようなことかというと、第1段階だった自分が学んだということを自己観察することにあたります。
いわゆる「メタ認知」にあたることになります。
これが学び(体験学習、ワークショップ)の場でなされることであるといいます。
そして3つ目は「「学び方を学ぶ」ということを学ぶ」です。なんか複雑になってきましたね(笑)
ですが簡単にいえば、メタ認知すること自体を学ぶことです。
これは場づくりをする人としては知ることが大切な段階だと僕は思っています。
これを理解することで、場づくりをするにあたってどのような問いかけや仕掛けをしようかということが適切に立てられるようになると思っているからです。
ここまでのことがしらさんから学んだことになります。
そしてここからが僕の持論になるのですが、実はその前にそもそも第0段階があるのではないかと思います。
それは「学んでいる」です。
赤ちゃんの成長を考えてみてください。赤ちゃんは自我をもってして歩けるようになろうとか言葉をしゃべれるようになろうとかしているでしょうか?
少なくとも小学生の漢字や計算を学ぶこととは明らかに違いますよね。
その違いは学ぶことに対しての意識を持っているかの違いです。
第1段階の「学ぶ」は能動的であったのに対して「学んでいる」はBeing(ある)であるわけです。
そしてこれは赤ちゃんに限らず自我を持ってからも、大人になった今でも無意識のうちに学んでいることはあるのです。
そして第4段階の話に進めましょう。それは「「学んでいる」を学ぶ」です。
これがまた大きく飛躍したものになっているかと思います。無意識という自分では「ない」ものを「ある」と思うようになるわけですから。
自分の中の「虚数」といってもいいのではないでしょうか?
ですがこの段階の存在に気づくと一気に考え方が楽になると思います。
なぜなら良い悪いや正解・不正解を決めているのはその人次第であるし、かつその場で学びが得られなくてももっと先の時間で学ぶこともあると考えられるからです。
すると場づくりを考える人としては、第3段階までしか理解していない人はいい場づくりやこの場で必ず学びを得られる場を作らなければとなってしまいます。
それが第4段階に達している人は考える材料を用意しておけばいい、あとは何とでもなる、といった考え方ができるようになるのです。
そして場づくりの観点だけでなく個人についても、すなわち今まで気づいていなかった第0段階という原初であり今も起こっている類の学びに気づくことができるのです。
第3段階までは階段を上るような構造に思えていたのが、第0・4段階によって循環構造にも見えますね。