昨日の投稿からの続きで、自分に植え付けられた問いのタネが膨らんでいくことになった出来事です。
いくつかある中の1つ目は、寺子屋塾で開催された「ベリー オーディナリー ピープル上映会」に参加した時のことです。
実は昨年12月に1回、そしてつい先週4/2に1回、参加していました。
1回目は昨日の投稿に書いた哲学対話の1週間後だったということも印象強いものとなったことに関係あるでしょう。
この上映作品は1984年に設立された北海道の浦河町にある「べてるの家」という精神障害などを抱えた当事者の共同作業所兼住居での日常を映像にまとめたドキュメンタリー映画です。
全部で8本あります。(うち3本目は絶版)
12月には1つ目、先週は2つ目を見ました。それぞれ「ようこそ べてるの家!」「三度の飯よりミーティング!」というタイトルがつけられていました。
タイトルからもくみ取れるかもしれませんが、べてるにはたくさんの人たちがやってきて集まり様々なやり取りがあり、いろんなことが起こり、みんなで自分たちの居場所を考え営んでいます。
ホームページもぜひご覧ください。
映画を見ていて特徴的なのはやはり集まった人がコミュニケーションを取っている場面でしょう。
2作品目ではミーティングをしている様子がありますが、一般的に思い描く、建設的な議論を目指すお堅い会議とはかけ離れています。
僕が思いつく言葉で最も近しいものは「井戸端会議」です。
べてるの家がある場所で仕事も行なっているのですが、2つ目の話ではそこで働きながらも盗みを度々犯して仕事どころか迷惑をかけているがために、その人が今後もここに来続けるか、それとも病院から出ないようにさせるかの話し合いの場面がありました。
「話し合い」という言葉を選びましたが、実際にはソーシャルワーカーの人などは総合的に考えようとしている一方で「刑務所に入れろ」みたいな声もあがるのです。
一見、思いやりも何もないように思うのですが、それでもOKなのがこの場でのことです。結論も無理に出そうとしていないことでしょう。
つまりはその人がその人らしくありのままでいられるのです。
逆に「会議」って、こじつけた遠慮であったり本音の抑え込みといった偽りの思いやり、形式的なことや目先のことや利益といった小手先のやりくりが多々生じていませんか?
見ながら僕も思ったことが映画で言葉にされていて、それは「健常者のミーティングはつまらない」でした。
そういった「べてる的な場」に一番近いものだなと感じた場があります。
それは祖母の家です。法事などでおじさま・おばさまが集まった時、法事というと普通はおごそかな場ではと思います。
それがお坊さんも含めてところかまいなしに故人の昔話であったり世間話をするのです。
僕自身はそんなに話に入ることはほとんどありませんが、そんな場に心地よさを感じていました。
ですがばあちゃんが亡くなり、年齢的な部分もあり疎遠にもなってしまい、そういった集まりがもうなくなってしまいました。
べてるの映画を見ながら祖母の家でのかつての集まりが浮かび、こういった場が貴重であると同時に簡単になくなりうるもので、減っていっているのではないかと思ったのです。
それが人が集まる場が必要だと思ったことの1つでした。