昨日までに経営ゲーム塾の振り返りからシェアリングエコノミーについて書いてきました。
今日の投稿もこれまでのことを踏まえて書いていますので、必要であれば見返してもらえたらと思います。
【体験重視としている経営ゲーム塾C】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【第4回経営ゲーム塾Cを終えて】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【シェアリングエコノミーという仕組み(前編)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【シェアリングエコノミーという仕組み(後編)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【シェアリングエコノミーから見た経営ゲーム】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
昨日までにシェアリングエコノミーっていいよね~、って感じで書いていたように思います。
すると日常の中にシェアリングエコノミーの手法をシステムとして組み込もうと考え出すのではないかと思います。
ですが、考えてみてください。
家での「おしょうゆ回してー」というやり取りを究極のシェアリングエコノミーと紹介してもいましたが、考えて共有しているものでしょうか?
いえ、自然とやっていることが実はシェアリングエコノミーそのものだったわけです。
経営ゲームでの話も、実はそうなっていたという、あくまで後づけの見方の話です。
シェアリングエコノミーを組み込んで経済活動を改善しようという考え方は、手段と目的が逆転してしまっているのです。
ヒトの頭と身体・心の関係と同じなのではないかと思います。
必ず失敗するかは分かりませんが、なかなかうまくいかないのではないかと思います。
【シェアリングエコノミーという仕組み(後編)】でお互いの価値基準でコトモノのやり取りをしませんかという提案もしていました。
これもシステムに沿ってやり取りする、というよりは既存の固定観念にとらわれず、自由化といいますかもっと柔軟なやり取りを考えてみませんかという感じです。