2日前の投稿からつなげて書いているため、今回のみ読んでも全容をつかめない部分があるかと思います。
特にシェアリングエコノミーにかかわる部分になるかと思いますが、必要に応じて昨日までの投稿も読んでみてください。
【体験重視としている経営ゲーム塾C】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【第4回経営ゲーム塾Cを終えて】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【シェアリングエコノミーという仕組み(前編)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【シェアリングエコノミーという仕組み(後編)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
今回も
シェアリング1.0:独占的所有
シェアリング2.0:コトモノの貸出(準シェアリングエコノミー)
シェアリング3.0:コトモノの共有(理想的シェアリングエコノミー)
エコノミー1.0:社会的価値基準によるやり取り(資本主義)
エコノミー2.0:やり取りする人の間の価値基準によるやり取り
エコノミー3.0:利害関係のないやり取り
という考え方を用いていきますが、この見方をした時に経営ゲームはどうなっているか考えたいと思います。
経営ゲーム塾の振り返りの中にTG-EとTG-Cのちがいについて書いていました。
僕が2人版において感じている最も大きな違いは相手と何を交わしているかです。
TG-Eは市場を介して現金を含めた資本をやりくりしているように思います。
「メビウスの輪」というものがありますが、まさにメビウスの輪という流通経路を資本が流れているみたいな感じです。
また、相手の状況をみればだいたいはこちらの最善手が定まることもあり、「モノ」への着目が強いように思います。
一方TG-Cはというとコミュニケーションを、「心」を交わすものだと思います。(中略)
「モノ」への着目以上に相手とのコミュニケーションが必要不可欠になるのです。
コミュニケーションなしでというのは僕からしたら信じられないですね。
「モノ」をはじめとした点々の着目から面というかプレイヤーも含めた場・空間の把握になってくるみたいな感じです。
この話をシェアリングエコノミーの段階に当てはめてみます。
TG-Eは材料・製品とお金の移動についてがシェアリング1.0~2.0×エコノミー1.0であるという感覚が僕としては強く感じます。
そして材料・製品がメビウスの輪のように循環しているように思います。
一方のTG-Cはというと、材料・製品の移動というものだけを見るならば確かにTG-Eと同様かもしれません。
ですが、コミュニケーションであったり現金・資本、市場から会社まで、ゲームにつきまとっているものが僕にはシェアリング3.0×エコノミー3.0に思えることが多々あるのです。
TG-Cにおけるコトモノは所有ではなく共有されているものである、つまりコトモノはプレイヤーのものではなく経営ゲームという場に在るのです。
このようにTG-Cをやるという感覚はシェアリングエコノミーという感覚に近しいものに感じます。
「おしょうゆ回してー」のやり取りを交わしているのです。
この本を書店で探した時に置いてあった場所の分類は「経営」でした。
前半にはコミュニケーションや言葉の特性のことが中心に書かれています。
前半を読み進めていた時点ではどうして経営のところにこの本が置かれていたのか疑問に思いました。
ですが特に第11章からは経営という色が強くなったように思います。
すると前半は万人受けする話でありながらも結局は会社の経営者が手に取るような本と一見思えてしまうかもしれません。
しかしその認識を変えることができるのが、僕が経営ゲームを通して多くの人に伝えたい「人生を経営する」という考え方ではないかと思いました。
『言葉のズレと共感幻想』、経営ゲーム塾でのオススメ本として紹介しようと思います。