【連続投稿40日目 1561投稿目】
【作成日時:4/27 18:25~18:56、31分】
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
昨日は映画「君たちはどう生きるか」というタイトルについて、なぜ「君”たち”」となっているのか考察しました。
「君”たち”」のように、同じように妙に感じている言葉がほかにもあります。
それは「私たち」という言葉です。
それは日本語の「私たち」という言葉と英語の「We」という言葉を比較して思ったことです。
日本語の「私たち」という言葉って「私+たち」という作りでできています。
しかしそれに対して英語「We」には私という「I」という単語は入っておらず全く別の言葉です。
そう考えると、「私たち」は「私+周りの人」に対して、「We」は私と周りに境界というか区分がないのです。
もちろん日本語は日本で、英語は欧米で生まれたものですから言葉の作りが異なることは当然といえば当然ですが、しかし言葉が生まれた背景にあるであろう「私たち」の概念の捉え方が違っているのではないかと思うのです。
とはいっても複雑なもので、日本語にしろ英語にしろ「私たち」という言葉を使うケースは「私+ほかの特定の人」を表すこともあれば「自分も含めた人全体」を表すこともあります。
・・・という話は寺子屋塾で井上先生と話をしていたことを引き金に考えたことです。
このことが今この文章を考えている現在、寺子屋塾のブログで書かれていっている「自己決定」「自己責任」という話につながっていったりするのです。
そんなこと言われても「えっ?」って感じでしょうけど(笑)
よければ読んでみてください。
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