7/24から話がつながっているので今回の投稿だけでは全容をつかめない部分があるかと思います。
特に2つ前の投稿からですが、必要に応じて昨日までの投稿も読んでみてください。
【『言葉のズレと共感幻想』読書会に参加しました(その1)】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【「好き」と「得意」の関係は一意?】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【大切なのはSDGsという言葉ではなく言語化までに思い描いたもの】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【「心理的安全性」のことでギスギスするのは】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【抽象化したはいいけど元に戻れない】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【「世界」と「個」の関係と有限と無限】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
昨日は「個」と「世界」の在り方を「有限」と「無限」という数学的な見方から考えてみました。
改めて言いますが、私論です。ちなみに書いてすぐ後に「個→世界」であるのかなという話にもめぐりあいました。
対論も含めて、何か「個」と「世界」を「有限」と「無限」で考えているような著書があれば教えてほしいです。
さて最後に『言葉のズレと共同幻想』から思わず感動した考え方を1つ紹介したいと思います。
その話は成功と失敗についてです。
成功と失敗は言葉からしても一見対極のもの、二項対立であるように見えます。
ですが、「成功」と「失敗」の関係をDoubRingで表してみると人によって異なっているのです。
成功と失敗が独立しているように思う人もいれば、失敗は成功の中にあると思っている人もいるわけです。
それはつまり成功と失敗の関係は人の見方次第で変容するといえるわけで、だったらという発想です。
+と-があって両端とも無限に伸びている数直線のようになっている成功と失敗を、中心で折り返して考えてみるのです。
すると成功も失敗も同じ方向にあるものとなります。
折り返した図は成功あるいは失敗の大きさが「0」から「無限」であることを示しているわけです。
この図から考えると、成功も失敗もその行動や出来事に対して自分が意味付けしているということに気づきますでしょうか?
そこでこの発想から僕が見出したことは、成功あるいは失敗が大きいということはそれ相応の行動量があったといえるのではないかということです。
こんな感じで2軸で表せるのではないかと思います。
しかし数学の普通の2軸直交のグラフと扱い方が違うのは、行動量の軸が0からであるということだけでなく、原点から行動量が大きくなるに応じて領域が広がっていくことです。
それは次のようなことからです。
行動量が大きくても成功・失敗が大きくないこともあるでしょう。
しかし行動量が大きくないのに成功あるいは失敗が大きくなることはないのではないかと思います。
気を付けることとしては、あくまでその人自身の尺度で考えるものであり、他人と比較するものでは決してないということです。
この軸の尺度は人によって異なるでしょうから。
そして僕が思うこの2軸の考え方のよさは、たとえ大きな失敗をしたと思って落ち込みそうになった時にそれがどの位置にあたるかということを表すのです。
するとそれなりの行動を伴っていたからだということ、失敗とは別にそれなりの行動はしたというポジティブな要素が出てくるのです。
もう1つあります。
「もっと行動すればよかった」みたいな失敗の落ち込み方をした場合です。
するとこのような位置にあたるわけですが、先ほどの領域の話からするとおかしいことなのです。
行動量が小さければ失敗も大きくないはずなのです。
どうしてこのような矛盾が生じたのでしょう?
その答えは「現実」と「理想」の問題ではないでしょうか。
この図で表すことそのものが問題の解消に直結するわけではないですが、根本の原因に気づくツールにもなるのです。
今回はあくまでも「成功」と「失敗」についてでした。
しかし無限に広がっている軸を折り返して0から無限の大きさという話に持っていくことで、二項対立しているように見えることを同じように考えられるのではないかと思います。