公文式のホームページに公文のOBということで将棋の羽生さんのインタビュー記事が載っていました。
この記事の中で公文の学習を「問題や課題を目や耳や手を使ってサッとできるようにする訓練」だと言っていました。
この言葉にすごく自分の数学に対する取り組みのことがしっくりきました。学校で働いている中である時に生徒から即席で計算してと2桁×2桁とか方程式の問題を出されたのに対して暗算で答えを出しました。そのようなことがなぜできるかと言われたら僕も公文時代から暗算にこだわって人一倍の問題数をこなしてきて、それも1問1問向き合ってやってきた、というのがこれまで自分が持っていた根拠でした。ただそれをどのようにやっているのかというと羽生さんの言うように目をすごく使ってやっているのです。今、らくだプリントでは連立方程式をやっていますが連立方程式であれば、そのまま上下で足し引きすればよいのであればx・y・定数を順に見て計算する、係数がそろっていない場合でもそれぞれの式を何倍して足すか引くかまで見定めたら、倍にした係数を思い浮かべて実際に書かずとも自分の視界に映し出すのです。「何を言ってるんだ?」と思うかもしれませんが、僕の目には映し出して見えているのです。それを見て計算しているのです。それほど僕は目を使っています。そういう意味ではこれは暗算でありながら暗算でないのかもしれません。映し出せないことは計算できないのですから。そして羽生さんが用いた「サッ」という表現も僕には的確な表現だと共感しました。
だから数学とは感覚であり感性によって繰り広げられていくのです。きっとこれは数学だけでなく他の教科も、それだけでなく学びすべてに対して言えることなのではないでしょうか。