気分やさんの気ままなブログ

【第6回教師塾】

 この間の日曜日に教師塾に参加してきました。今回の講師はユースクエアでのファシリテーション講座などでお世話になっていた白川さんでした。テーマは「学び方を学び、学ぶ人を支える」でした。グループでのワークショップを行い、その後にそのワークショップでの気づきや日常の様子を体験学習のサイクルを基に振り返り体験学習という学び方の価値を考えました。

 ワークショップは「ハッピーファーマーズ」という謎解きもので、5人1グループでそれぞれが謎解きのための情報カードを持っていて、それをカードは見せ合わず口だけでやり取りして情報を共有して答えを出すものです。僕自身はこれまでに同じようなものを2回やったことがありました。

 その後、体験学習のサイクルについてを学びました。このように体験を基にして意味づけをして体験という具体的な材料から一般的に言えるようなこと、抽象化させていき学んでいくということが体験学習というわけで、「体験」「指摘」「分析」「仮説化」の4つからサイクルができています。

 その上で今回のワークで起こったことやこのサイクルについてや日常での体験から学んでいることを見つめ直して、体験を通して学ぶとはどういうことかを考えていきました。まず知ることができたのは、サイクルの4つの要素には人によって強弱があり、僕は「指摘(何が起こったか)」と「仮説化(次にどうするか)」が強く「分析(なぜ起こったか)」が弱いということです。体験から指摘につなげるには感じる力が影響しているということで、これは日頃からこだわっていることもあってのことなのではないかと思います。それから仮説化も強いと思ったのですが、他の人と意見交換している時にその人も仮説化が強いと言っていて、それは仮説を考える上で何かしら自分の「軸」をもっているということが共通していました。僕の場合ですと、数学と日常はどのようなことについても結びついているのだと思い、他のものだって日常と結びついているはずだ、という「軸」を持っています。この軸があることで仮説を立てる方向性がはっきりしているからではないかと思ったのでした。逆に分析については弱いと思いました。それは考え方の問題で、”why”で考えるよりも”how”、で考えた方が考えが進めやすいということを聞いて分析よりも仮説化に力を入れているのだと思い当たりました。

 それから、いかに体験だと思うかが大切なようにも思いました。日々過ごす中で上手くいかないようなことがあります。それはもしかしたらその以前にある体験をした時にこのサイクルにおける分析を誤ってしてしまい誤った仮説を立てたからかもしれません。それゆえに自分の思い描いていた理想とは反した結果になってしまったというわけです。しかしそのようになった時にどう考えるかが肝心だということが意見交流していた時に気づけたのでした。ネガティブな結果と捉えるのも1つですが、誤った分析・仮説化をしたという体験をしたとも捉えられるのです。ですからグループディスカッションで沈黙が生まれたという場面でさえも、会話していないから何も起きていないのではなくて沈黙の場を体験していることになっているわけで、沈黙が生まれていることに気づきどうにかしたいからとにかく話を切り出そう、とサイクルがもう回っているのです。誤りだろうが体験だと思えばよく、またサイクルを回して改善した仮説を立てればいいわけです。サイクルというのは小さいものからだんだんと大きくなっていくのではないでしょうか。そして大きくなるとは抽象的になっていくということで、それが日常生活だとか人生なのではないでしょうか?人は一生をかけて大きなサイクルを作り出そうとしているのです。

 体験から始まり意味づけをして仮説を立てると自分の中で理論が生まれるわけで、すると他の人にも言葉で説明できるようになります。それが「経験」であり体験と違うところなのではないでしょうか。