気分やさんの気ままなブログ

【チェルシーのあめが生産終了した話を聞いて】

【連続投稿126日目 1766投稿目】

【作成日時:11/22 23:51~24:43、52分】

 定点観測を取り組んでいる人と話をしていた時にこんな話を教えてもらいました。

www.tokyo-np.co.jp

この話自体は半年以上前のもののようですが、チェルシーというあめが販売中止になったという話です。

この理由として記事の見出しにもあるように「タイパ(タイムパフォーマンス:時間対効果)」だと考えられています。

・・・「タイパ」、みなさん好きですね~(笑)

ただこの記事を読んで僕が思ったこととしては、はたして買われなくなった理由は本当にタイパなのかという疑問です。

少なからず買う人のニーズが変化したのはあるでしょう。

消費される数が減少したことが事実であり、その事実を起こすのは消費者のニーズですから。

ただその理由はタイパでしょうか?

たとえばタイパのようなことならあると思うのですね。

ほかにも記事を調べてみたら個包装を破るのが手間だという知見があり、それはあるかもしれないと思いました。

この記事では長時間同じ味だということが飽きるということが書いてありました。

・・・ところでこれらってタイパが関係していることなんですか?

まぁ「風が吹けば桶屋が儲かる」なことはあるかもしれません。

ですがそれは巡りに巡った話で、直接的な関係性ではありません。

僕個人の意見としては、あめが売れなくなったこととタイパ嗜好ということとの関係づけに違和感を感じたこと、そして社会がこうしてタイパを振りかざすことで個人が振り回されているのではないかという意見です。

売れなくなった本質的な原因はタイパではないと思えて仕方がありません。

これがあめをなめられるほどの余裕を失っているほどの社会となっているから、ならまだ分かります。

なぜ余裕を失っているかとまだ深掘ることにはなりますが。

それがタイパを強調していることに対して違和感を持ったことです。

そしてなぜタイパが見出しとされたか、なんですよね。

そりゃあ「タイパ」って3文字で気になって引きつけられますよね。

するとこのような社会の意見というか世論というかに自分の考えが引っ張られるのですよね。

そもそもなぜ僕がこの内容に対して違和感を持ったかというと、タイパという概念を疑っているからでしょう。

タイパなんて社会の幻想だと思っています(笑)

たぶん中には自分からするとタイパは本当に正当な概念だという人もいると思いますよ。

その人はそうなのだと思います。ですが僕はそうではありません。

個人でタイパという概念の正当性は異なるはずなのです。

それが社会でこうもタイパタイパといわれるものですから、自分を見失ってしまうのです。

結果、本来は自分の概念でなかったはずのことがあたかも自分にも当てはまる概念かのようにすり替えられてしまうのです。

そうなると社会の観念となるのです。

少し前に距離感についての話を書きました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

まさに自分とタイパという概念との距離感を正しく捉えられるかが大切ではないかと思います。

・・・これも自分に中心を置くということですから定点観測なんですよね~。

話してくれた相手は「定点観測とは関係ないかもしれないですが」と前置きしましたが、大いに関係あるわけです。

 

 しかしこのように社会に振り回される、距離感を捉え間違えることが起こるのは昨日の投稿の「曖昧さ」ゆえだと思うのですよね。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

記事の考えは間違っていないかもしれないですし、このように書いておきながら批判したいわけではありません。

批判しても、それこそ社会幻想に対して怒っているというむなしい話ですし。

大切なのは言葉や社会が悪いものではなく言葉も社会も元より曖昧なもので、その曖昧さにどう向き合うかではないでしょうか。

 

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