気分やさんの気ままなブログ

【論理を超えた感覚的理解】

【らくだプリント 小5-12~13】

 

 分数の通分の足し算が続いていますが、このプリントでは片方の分母の数で通分ができる場合にフォーカスしたものになっています。

片方の分母で通分できる問題が出てくるとらくちんな問題でラッキーと思ったりします。

しかしふと、なぜこのように思えるのだろうと自分の中に疑問が生まれました。

それから誰でも自分と同じようにうれしく思うのだろうかと。

誰でもかというとその人次第ではあるかと思ったのですが、こんなことは言えるのではないかと思いました。

 

 「理解」には2種類のものがあるのではないかと考えました。

1つは「論理的理解」とでも名づけておきましょうか。

この分数の通分で考えてみると、分母の大きい方である8は2×4とすることができるので分母の小さい方である2があることになります。

よって大きい数の方で通分することができる、このように論理で理解できることにあたります。

それに対してもう1つは「感覚的理解」です。

感覚的理解をもって考える場合は単純明快です。

8の中に2があるから、たったこれだけです。

説明するために言葉にしましたが、実際は言葉にもならないほどかもしれません。

感覚的理解の上では理屈も何もありません。小さな子が歌を覚えて楽しげに歌うことと同じでしょう。

どうやって覚えたも何もないのです。

 

 その上で最初の問い、どうしてらくちんな問題でラッキーと思えるかということを考えてみましょう。

論理的理解をしている中でこのように思うことができるでしょうか?

論理的理解の中であっても分母の数での通分ができない問題に比べれば楽に思うことはあるかもしれません。

ですが感覚的理解をしている人ほどには思えないのではないでしょうか。

僕としても感覚的理解を大切にしているのだと改めて思いました。