通信制高校で数学と情報の2つの教科を担当しています。
数学についてはこのブログのタグにもしているほど自分も好きなものであり、よく考える機会があり発信もしています。
それに対して情報はというと根っから好きなわけではありません。
といいながら大学で専攻していたのは情報ですが、情報科に所属した理由は第一志望の数学科には落ちながらも併願していたからでした。
それも数学の教員免許が取れるからという理由だったので正直情報という教科に関心があったわけではありませんでした。
そして教科情報を教えることも大学時代の教育実習以来のことなのです。
そんな自分なのでぶっちゃけ情報という教科を一般校で1年間授業をし続けられる気はしていません(笑)
ですが通信制高校ながら受け持つことにしたのでした。
授業に該当するスクーリングは半期で1コマ限りなので貴重な時間というのはあったのですが、情報という教科の学ぶ意義を伝えようと思ったのでした。
というのは自分の高校時代を思い返すと情報はよく分からないけどとりあえず受けたものになっていたなと思ったからです。
なので授業をする以前に教科を受け持つ身としても情報を学ぶ意義を自分自身が考えておこうと思ったのでした。
考えてみて思ったのは、情報という教科の特殊性です。
例えば数学とか国語という科目は小・中学校でも習い続けてきたもので、いわば惰性的な部分もあるのでまだ流れを感じることができます。
が、情報は高校になって突然出現した科目なので流れも何もないのです。
そして情報という教科は未来志向性の強いものなのです。
数学と国語が将来に出て使うかというと、数学の微積や国語の文法をそのまま使うことは極めて一部の分野でしょう。
それに対して情報でならうプログラミングやデザインって、その知識そのものがお金に直結するほど仕事との結びつきが強いのですよね。
逆に数学(小学校は算数)や国語はそもそもは仕事がどうかはおいておいて今を生きていくにあたって必要だから学び始めたことなのです。
情報は学びの入り口が全くちがうのです。
これが高校時代の僕も含めて情報がよく分からないものに思う原因の1つでしょう。
まずはこの話を知っておくかどうかだけでも変わることがあるのではないかと思いました。
すると今度は将来のために学ぶのかぁと今高校生の自分にとってどこか遠くかけ離れた教科であるように思い、今学ぶ意義は何だろうかという問いが出てくると思います。
その問いを考えるとやっぱり未来志向性の強さを痛感することになるのですね。
今学ぶ意義は正直言って僕もはっきりとは見出せていません。
だからこそ僕が思う情報を学ぶ意義は「未来の自分への投資」です。
仕事のためともいえますが、それ以外にも情報で学んだことは日常の様々なところにとけこんでいるのです。
特に今の僕が思う、情報の中で習っておいてよかったと思えていることは「アナログ」と「デジタル」です。
デジタルは連続しているものでありそのままのものであるのに対して、アナログは離散的で切り出されているがゆえにそのものから一部がそぎ落とされたものになってしまうのです。
高校生の時にはそれは1つの知識でしかなかったですが、今ではそれがコミュニケーションや言葉であったり、マンガとアニメとのちがいを考えることにもつながるのです。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
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これらのことは高校生の頃には到底気づくことはないことでしょうが、今の僕のように時が経ちある時に何かに結びついて学びになることが大いにあるのです。
情報で習うことは世界にとけこんでいることにあふれていることでもあるので、こういったような「学習の転移」は最も起こる科目なのではないでしょうか。
それでもやはり未来志向性のものでしかないので今高校生の人に学ぶ意義を伝えることは難しく思います。
というより自分で気づく時を待つよりほかないように思います。
ですが、少なくとも僕自身この機会に情報を学ぶ意義を考えてみて、必要かどうかは微妙だけど可能性にはあふれた科目だなと思いました。
「勉強」であるうちは本当によく分からないものであり、「学び」になることで広大な世界が開かれることになるのではないでしょうか?