毎週通っている寺子屋塾で『創造的脱力-かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論』という本を読みました。
著者は若新雄純という人なのですが、「JK課」をプロデュースした人と紹介すると耳にしたことがある人が増えるでしょうか。
自分で立ち上げたJK課やNEET株式会社を紹介しながら働くにあたっての形態や社内での理念・ルールやコミュニケーションに言及しています。
読んでみて週3日だけ働くとか好きな日時に仕事を入れることができるといったような働き方もいいなとは思いました。
ただ、今回それ以上に自分の中に入ってきたのが「ゆるめる」という話です。
あるコミュニティの組織運営の立て直しの相談をちょうど受けていたというタイミングだったことが大きかったです。
「改革」という言葉があります。それこそ「働き方改革」なんてよく言われていることです。よくするために新奇的なことや奇抜なことを立てて革新しようとすることって割と考えられることかと思います。
なんですが、このご時世に「改革」ってそれほど必要だろうかとこの本では問いかけられているのです。
よりルールを厳密化する、新しいことを取り入れるのも1つの手段です。しかしそれがすべてではなく、「ゆるめる」ことも1つの手段なのです。
「ゆるめる」とはルールや暗黙の当たり前による制限を減少して、一人一人がもっと自由に本来のふるまいができるようにすることです。
その話で自分も見直したいと思ったのがコミュニケーションの部分です。
僕自身よくコミュニケーションというものを考えています。ですが僕が「コミュニケーション」という言葉を使って考えるものは、ほかの人のことをより深く広く知ることができ相手が話しやすくなれるかみたいな目的が前提として内在しているのです。
ですが読んでいて、目的のないコミュニケーションはどうなんだ?、そう問われたような感覚になったのです。
そして本に出てきて、ある言葉を忘れていたと気づきました。それは「目的のないコミュニケーション」である「おしゃべり」という言葉です。
おしゃべりって目的ありますか?それに「おしゃべり」という字ずらからゆるさが出ていますよね。
この本に「グラデーションを作る」という表現がされているのですが、断片的な対処以外にも連続的な対処も大切にしたいですね。