【らくだプリント 小4-19】
前回・前々回の2つの投稿のように1つ前の18番のプリントは2回やりました。
【制約があるからこそ観察が生まれる】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
【やり方を変えたら同じものに思えなかった】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
1枚目は下に何も書かないでやり、2枚目は基本的に下に書いてやったのでした。
前のプリントで書かずにやる・書いてやることに徹してやってみたからかもしれません。
今回のプリントでは、書かなくてもできるものは暗算で、書いた方がよさそうなものは書いた方がいいことだけ書いてやりました。
自分でも驚いたのが、書いた方がよさそうなものというのが書かなくてできるという判断と同じ早さでできたのでした。
しかも前のプリントをやってからこのプリントをやったのは3日空いてのことというのが一層のことです。
つまり「うーん、なんとか暗算でできないかな」と迷うことがなく、書いた方がいいものに対して書いた方がいいということが判断できるようになったのです。
実際に書いてみてからやっぱり書かない方がよかったなぁと思うことが一切なかったのです。
それは前のプリントでそれぞれのやり方でやるということを決めて極端にやったからこそ分かったように思います。
寺子屋塾で「諦めるということは明らめることである」という話を聞いたことがあります。
これは仏教的に「諦める」と「明らか」という言葉の語源が同じようなことであるという話なのですが、まさに今回のことなのかもしれません。