一昨日に個別でインタビューゲームをやりました。
その方は今月に開催したインタビューゲーム会に参加した人でした。
その時のことはこちらに書いています。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
何回もやっている同士であり最近インタビューゲームをやった人ということもあり、いつもと確認の流れを変えました。
いつもであれば読み上げてから僕の方で補足説明して確認していくのですが、今回はここに書かれていることで考えていることやすり合わせておきたいことや確認したいことはないかを聞きました。
そうしたら2のルールの部分は読み上げて確認したいとのことだったので読んでみてから始めることにしました。
まずは相手の方の感想を抜粋して紹介します。
自分の『「できる」=実践=分かる』と『知る』との違いや自分の傲慢さや不安をかいま見ることができて痛み入りました。
局所的視点と大局的視点が「月を指差す指」の例えや「道具」としてインタビューゲームのカードが使えているかを確認することで、自分の視点や視座、視野の広がりを知ることができると思いました。
やはり、自分の局所的視点や脅迫観念の正体(ジャッジ)を知ることができたのは大きな学びでした。
※『「できる」=実践=分かる』と『知る』についてはこちらの自分のブログと寺子屋塾のブログを読むとより読み取れるかと思います。
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【「わかる」と「できる」の違い】 - 気分やさんの気ままなぶろぐ
また「月を指差す指」は、人から月を指差しながら「あれが月だよ」と説明してもらっても、指している方ではなく指先を見ては月は分からないでしょ、なんて話です。
それでは僕の方も今回のインタビューゲームで印象的だったこと・考えたことを3つ紹介しようと思います。
ルールの裏にある前提や目的を考えることの大切さ
相手の人にインタビューをした後には聞いたことをカードに文章でまとめます。相手の人の紹介文を作ります。
その際に、お互いに書き終えたらカードを交換して内容に違いがないか確認を取ります。そこで違うことがあれば修正してもらいます。
確認をした時に相手の人が、僕が書いた文章について直してほしい箇所があると言いました。
それは僕も意とせずでしたが、言葉の捉え方次第で意味合いがちがってしまうようなことでした。
確かに言い回しを変えた方がより正確になると思ったので修正しました。
その後の振り返りでこの時のことを考え深めることになったのでした。
実は内容の確認・修正についてもルールに書かれていて、
文章の言い回しなどは相手によって異なることが大いにあります。明らかに事実と異なる部分や書き間違いのみを訂正します。
とあります。
考えてみたいのはどうして「明らかに事実と異なる部分や書き間違いのみを訂正」することにしているのはどうしてかということです。
インタビューゲームはらくだプリントを作った平井雷太さんが考案したものです。
直接聞いているわけではありませんが、おそらく言葉という性質を踏まえてのことではないかと思っています。
思ったことを表現するために言葉を用いるわけですが、それは言葉という記号に置き換えられる範囲でしかあらず、また人によって捉え方も異なるという性質です。
言葉にはズレがあるというのが前提にあるのです。
にもかかわらずニュアンス的な部分を正確にするというのは、特に言葉のズレを考えることが目的たるインタビューゲームからすれば不毛とさえいえるのではないでしょうか。
いろんな場面で「文脈を読み取る」ということがありますが、このように考えていくからこそではないかと思います。
相手がいるからコミュニケーションは存在している
自分で言っておいてなんですが、何を当たり前なことをって感じですね(笑)
ですが先ほどの話も今回の相手がいたからこそ考えられたことであるわけです。
それから今回インタビューされたことは僕が数学というものを普段からどのようにみているのかでした。
相手の方がインタビューゲームをやりたいと思ったきっかけもこのブログでの数学についての投稿からでした。
ちなみに「数学」タグがついた投稿はその他を除くと最も多くあり、200以上投稿しています。
そんな膨大に積み重ねてきたものながら、いや、だからこそ人に説明するのがいまだに難しいのです。
ですが、今回のインタビューゲームでは相手の方なりに分かってくれたようでした。
インタビューの時間は20分と限られた時間なので考えていることすべては話せないです。
それでもこのように一部だけでも分かってくれるととてもうれしいですね。
しかしこの一連のプロセスを観察してみると分かることがあると思います。
それはなぜ人に説明することが難しく、けれども決まった相手1人であれば伝えられたということの説明がつくのです。
今までは考えていることの抽象さが原因のほとんどだと思っていました。
ですが別の大きな原因として、実は受け取る人が定まっていること、発信だけでなく受信と返信があるかが考えられるのではないかと思えたのです。
おそらく今回説明したことを同じようにほかの人に説明したらまた伝わらないと思います。
なぜなら話の流れや相手の知識・関心・観念・見方、相手との距離・共通項があるからです。
つまり「今回は」「この説明で」伝わったということです。
人が違えば変わるのです。同じ人とでも時が違えば変わるのです。
「相手がいるからコミュニケーションは存在している」のです。
考えたことをあともう1つ書こうと思いますがここまででも長くなってしまいましたので、明日の投稿に回そうと思います。