昨日の投稿に引き続き、先日やったインタビューゲームの話を書きます。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
矛盾していたことに気づけた
数学の話をした時に、お互いに通じる共通項、いわば「共通言語」としてこのブログでも紹介した「DoubRing」を用いて説明しました。
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その中で僕は「万物は数である」というピタゴラスの言葉を信念としているということを話しました。
この世界をA、数学をBとすると「万物は数である」とはきっとピタゴラスは上の図でいうパターン6、同一の関係と見ていたのだろうと思います。
なので僕も世の中のことはすべて数学で考えられると思っていて、2つが重なってみられるようになることを目指しています。
ですがこの後に問題は起きました。
その後にでは自然と人間の関係はどうかと聞かれたのでした。
それに対して僕はパターン2、つまり共通部分もありはするけれどもお互いに独立している部分もあると考えていたのです。
ここでつかれたのが、そうすると人間は数学から逸脱した存在になってしまわないか、ということです。
それはつまり世界の中に自然も人間も入っているということが前提ですが、確かに矛盾しているなと自分でもびっくりしたのです。
ここで気づいたことが2つあるのです。
1つは世界と数学の関係の見方と自然と人間の見方が異なっていたということです。
事実は唯一無二ですが、それに対しての解釈や見方は無数にあるものです。
このDoubRingに関しても9のパターンがあり人によって異なるものになるのも見方の多様さゆえのことというわけです。
DoubRingで考えるにあたって見方が前者と後者で無自覚に変わってしまっていたのです。
ほかのことを考えている時でも見方が無意識に変わっていることがあるのではないかとはっきり分からないながらにもすでに思ったことがあったのでした。
それが今回のインタビューゲームでついに顕在化させることができたのです。
別にものごとによって見方が異なって矛盾めいたこと自体が問題ではないと思います。
そのようなことが生じていることに気づかないでいることこそが問題で、同じつもりでいてしまっていることで考えが食い違うことになるのではと思えました。
そしてもう1つ気づいたことは、もし世界と数学を重なって見ることができた時には自然と人間の関係も重なって見ることができるだろうということです。
むしろまだ自分の見方に世界と数学が重ならない部分があるのは、自然と人間の関係が重なったものだという見方ができていないからではないかと思えました。
自然と人間に限らずほかのことがらについても絡んでくるでしょう。
このような考えが破綻していないかどうかは根拠もないため妄想に過ぎないですが、でもきっと間違ってはいない気がしているのです。
それにしても長くて4時間と見積もっていましたが、なんだかんだ4時間半やっていました。
僕も後に予定があったのと、さすがに疲れたのとで終わりましたが、いざ振り返りで深め始めると際限がないものです。
その雰囲気はおそらく写真のふせんの多さを見てもらえば分かるのではないかと思います。2人でこれほどです。
さて来月にもインタビューゲーム会を実施します!
以前にも別の投稿で書いたとおり、5/28(日)13:30~17:30で、今度は大曽根のシェアハウスを借りて実施します。
こんなたいそうな感想を書いてあるのを見ると萎縮してしまうと思った人もいるかもしれませんが、大丈夫ですよ~。
だってコミュニケーションは普段から取っているではないですか?(笑)
詳しくはこちらのイベントページをご覧ください。
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