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【日本の文化に内在している情】

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 一昨日から『数学する人生』という本を紹介しています。

昨日はこの本の中で岡潔のキーワードとなっていた「情・情緒」についてを取り上げました。

これからする話も情ありきの話になるのでまだ読んでいない方はぜひ前の投稿を読んでからご覧ください。

 

 情・情緒を紹介する中で、さしずめ岡潔がどのように生活していたかを紹介する中で何度も出てきていたのが俳句をはじめとした詩歌でした。

特に松尾芭蕉の句が多いのですが、自分で詩歌を考え、さらには友人と連句に取り組んだという様子もあります。

岡潔は情にあたる心について詳しく知るためには松尾芭蕉を明らかにしなければならない、芭蕉ほど心のことを詳しく解き明かした人はいない、と言っていたようです。

芭蕉の俳句には芭蕉と人里や自然との間には通い合う心があるといいます。

外的状況に彩りがあるのは情緒が同化しているからであるが、複雑で大切なものもそうでないものもあるような外的状況を五・七・五の十七音に簡潔化したものが俳句である。

そしてはじめからある情緒と俳句から感じ取れる情緒とが本質的に違わなければ俳句は成功したといえるがそれが芭蕉はうまい、そう岡潔は捉えているようです。

 

 何度も本の中で紹介されている話が日本人をすみれと言っている例です。

(何をもってすみれとしているかまでは書かれていませんが日本古来の植物であり芭蕉もそれ以前も歌によく用いられているようですね)

日本人というすみれだからすみれのようにしか咲けないながらも、すみれの花はいいなあと見ることが情緒だといいます。

対照的に西欧からのものをレンゲとしていますが、すみれにレンゲがわかるというのはやっただけわかるのであってそこまでしかわからないことだといいます。

情はレンゲを悪い、すみれをよいとすることはありません。

これが知識や意志、さらには感覚の世界から情緒の世界に飛び出すということでしょう。

そしてこれはまさに「不惑」となっているのではないでしょうか。

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僕は俳句や詩歌の理解はさっぱりで自分から取りに行くようなことはなかったのですが、理解を深めていきたくなりました。

どのようにすれば楽しめるかさっぱりだったのですが、この本の中に大きなヒントはあるような気がします。

 

 昨日の投稿の終わりに日本も捨てたものではないと書きました。

それはこのような日本の文学の豊かさ、さらには「情」という言葉があるのは日本特有のことであるということからです。

もちろん西欧には西欧の情はあるはずです。

最近ニュースで見る今の日本のあれこれだけに意識が向いてしまうと情緒をもってかれてしまいかねないですが、そういった知や意が作り出している世界の枠を超えたら彩りはあるのでしょう。

 

 

 話は変わって、こうやって岡潔についてまとめた『数学する人生』の著者である森田真生さんが12月に名古屋でトークイベントを開催します。

『計算する生命』の文庫版発売に伴ってのイベントになるようです。

別に森田さんの活動の押し売りではないですが、もし森田さんのことや数学のこと、僕がどのように数学を捉えているかを知ってみたいという人がいたらもしよければ一緒にいかがでしょう?

 

ちなみにこれは2017年に参加したトークイベントの際に森田さんからもらった直筆サインです。

忘れてしまっていましたが、この時にすでに情の大切さを授かっていたのですね~。

 

以下はメルマガからの引用になります。

 

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◆森田真生『計算する生命』文庫版刊行記念トーク
日にちと時間:2023年12月3日(日)14時から
会場:ピアノバークラブアドリアーナ(名古屋市中区)
   地下鉄「新栄町」駅2番出口から徒歩3分
参加費:大人 5,000円   学生2,000円
詳細:http://asoco.in.coocan.jp/monthly/20231203adriana.html