2つのことがら(たとえば「理想と現実」「生と死」「仕事と遊び」)の関係を表すものとして、DoubRingというものがあります。
これは数学において集合の包含関係を2つの円で表すベン図をアレンジしたものといえます。
2つのことがらの関係について重なり(共通部分の有無、あるいは包絡)と大小関係という2軸で9パターンに分かれます。
「仕事と遊び」でいうと、細谷功さんのブログにも書かれているように、人によって遊びと仕事は分けているという人もいれば遊びも仕事のうちだと思う人もいるかと思います。
仕事と遊びは別だと思っている人にとっては遊びも仕事のうちと考えているなんて信じられないかもしれませんね。
ですが、世の中にはこのように考えている人が少なからずいるのです。
また、遊びの方が大切という人もいれば仕事の方が大切という人もいます。
つまり人によって仕事と遊びの関係は異なっている場合があるというわけです。
このようなことを考えると、2つの関係が一意でないこと、つまり人によって捉え方が異なっているということを前提とすることができるわけです。
当たり前に思っていたことが実は当たり前でなかったと気づけるのです。
そしてこのズレがあるかを確認して認識・共有し、場合によってはすり合わせるというコミュニケーションが必要となるわけです。
話がかみ合わないという際にはこの部分ができていないのかもしれませんね。
そしてこれは自分と他者の間の話だけでなく、自分のみに関しても言えることがあると思います。
それは時間の変化によって2つの関係が変化することがあるということです。
昔は遊びの方が大きかったけど今は仕事の方が大きくなったとか、そこまでは至らずとも大きさの差が小さくなったとか。
あるいは昔は別物として考えていたけど重なる部分ができてきた、そして共通部分が増えてきたとか。
これは事実に対しての見方の話ですからいかようにも見方は存在して、変化するものなのです。
例えるならば右目と左目のピントが遠ざかったり近づいたり、合わさったりしているかを自分で認識しているようなものではないでしょうか。
ちなみにこのDoubRingのことをインタビューゲーム会でも紹介しました。
それはインタビューゲームと普段の会話あるいは会議の関係を、さらにはワークショップという非日常と日常との関係を考えるのに非常に有効だと思ったからでした。
インタビューゲームも含むワークショップは成功体験になる部分もあるがゆえに日常に活かそうとする、しかし活かせない、そんな悩みにぶつかることがあります。
僕もこの非日常と日常の問題に5年くらい前まではよく悩まされました。
ですが、2、3年前くらいからこの悩みがなくなってきました。
実はその感覚が僕のDoubRingの解釈で説明がつくように感じています。
結局は見方の問題で、それまでの見方をブレイクスルーすれば重なりを自分で操作することができるのです。
もう1つこのDoubRingで思うのは、僕の信念である「万物は数である」というものについてです。
これはピタゴラスの言葉ですが、万物と数、言い換えれば世界と数学の関係もDoubRingで考えることができると思います。
世界と数学の関係をどう解釈するかは人によって様々でしょうが、ピタゴラスは上の図のパターン6、同一のものだと考えているのでしょう。
そして僕も世界と数学の共通部分を探し出し、同一の関係に近づけるということを考えているのでしょう。