【らくだプリント 小3-26~27】
特に3けたに差し掛かったあたりのかけ算・割り算の話をする時のことです。
よく「数を知っているかどうかが大きい」という話をよくします。
昨日の投稿の「わかる」と「できる」の違いのことを考えた続きで、この「知る」というのもなかなか伝わりづらいものだなと思ったのでした。
ですので言葉にしてみようと思いました。
この時にも書いたように割り算とはそもそもかけ算の逆というものです。
ですから「6÷2」を考えるのは「2といくつをかけると6になるか」ということにあたります。
そこから割り算を勉強し続けていき、数が大きくなるにつれていつしかかけ算の逆という本来の見方はフェードアウトする人が大半ではないかと思います。
割り算の問題を割り算のまま考えることとかけ算の逆と考えることは、1枚のコインを表側から見るか裏側から見るかということと同じことでしょう。
つまり見方が違うだけで同じものではあるのでどちらかの見方ができればできないことはありません。
しかし、「6÷2」に対して自然と考えているのは本当に割り算でしょうか?かけ算の逆ではないのでしょうか?
というのは人によりますが、見方の選択肢が多い方が自分に合ったやり方で無理なく自然にやれるのです。
ここまでの前置きをしたうえで最初の「数を知ること」に戻ります。
このかけ算の逆で考えるにはある条件があります。
「6÷2」で言うならそれは「6が2×3である」と知っていなければならないのです。
これは何ら難しいことはないかもしれませんが、12ならば2×6と3×4の分け方があることを知ることが必要になります。
そして「84÷3」をかけ算の逆でできるようになるためには84が28×3であることを知っている必要があるのです。
それを知っているからこそ僕は84÷3を割り算で考えるよりもすぐに出るかけ算の逆で考えているのです。
それでもって僕は2けたの数はよく知っているけど3けたの数は知らないものがたくさんあるということになっているのです。