気分やさんの気ままなブログ

【結局いい文章を書こうとしていた】

 昨日書いた内容にあった、毎日ブログを書くとしながらも「どうして書けない日が出てしまうのか」という問いを自分にしてみてのことです。

どうしてこのようなことを考えたかという経緯は昨日の投稿を↓

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

 まず事実として、ブログを書くことを1日たりとも忘れてはいません。毎日必ず何かしら考えはしていました。

では何を考えているというのか?というのが次の問い。すると大きく分ければこのように分類できました。

 

・書きたいことはあるけど今日は時間が足りないからやめる。

・書きたいことはあるけどまだ考えがまとまっていないから今日はやめる。

・書けることはあるけどそのことを知られたくない(・曲解されたくない)。

・特にこれといった書きたいことがなくて、何かないか考えるけど結局思い浮かばず諦める。

・特にこれといった書きたいことがなくて、考える気にもならないから放棄する。

 

これを自答したところでどれにも共通するあることが見えました。

それは自分がブログを書くにあたっていい文章を書こうとしていたことです。

「いい文章」というのは、ある程度は読み手を意識することは大切かもしれませんが、話をきれいにまとめるとか落としどころをつけるとかみたいなのです。

自分ではいい文章でなくてもいいと気にしていなかったつもりだったのですが、どうも分かった気になっていたようです。

つまりは何かしら考えていることはあるのだから書けないなりの書けることがあるのだと気づいたのです。

 

 それを具現化するために、おそらく新しい2種類の投稿が増えることになると思います。

1つは書きたいことがあるけどまとまっていない・時間がない時に書く「予告編」。

予告編としているのは、それでも内容をまとめないと許せない自分がいるのでちゃんと改めてまとめることになるだろうからです。

もう1つは書きたいことがない時に書く「思考文起」です。造語になりますが漢字のとおり「思考を文に起こす」ものです。

寺子屋塾で聞いた「考現学」から発想を得ました。

普段書いている、自分の中で「まとまっている」ものについてはこれも含めて文章が敬体ですが、おそらく今後書くこの2種類については常体になると思います。

どちらも思ったことをそのまま文章にするだけなので。

そういう意味では素の自分をさらけ出している投稿でもあるかもしれません(笑)

どうかあたたかい目で読んでくださ~い。