気分やさんの気ままなブログ

【どうして勉強をしなければいけないのか?】

 今は学校で仕事をしている大学の後輩がおもしろい問いかけをしていました。それは「子どもからなんで勉強をしなければいけないかと聞かれたらどう返すか」でした。以前に内田樹さんの『先生はえらい』の感想でも触れていたのですがせっかくなので改めて書いてみました。こちらも合わせて読んでみるとよりおもしろいと思います。

 

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 

 まず、そもそも「どうして勉強をしなければいけないの?」という気持ちがどうして生まれるのかを次の3つの昔ばなしから考えてみましょう。もっと焦点を絞ると「数学を勉強して何になるの?」ということですが、それは今の立場の前から、中学生の頃でも、記憶にあるわけではないですが周りにそう言っている子はいたでしょう。でも当時の僕はそう思うのか全く分かりませんでした。それは僕が数学が好きだったからでしょう。共感できないなんてドライと思うかもしれませんが、この事実が実は考える大きな手掛かりになりました。

 

次の話です。今まではこのように勉強がどうして必要なのかと思うことはありませんでしたが、高校になり社会科目に対してなんであるのだととうとう思うようになりました。今では歴史であればその内容をというよりも人生を振り返ることは歴史を深く知ることと同じだと思えるようになり僕なりの学びがいを持てています。

 

 さて3つ目の話、勉強とは全く関係ない話です。小学生低学年の頃の僕にはこの世からなくなってほしいものが2つありました。それは自転車と輪ゴムです(笑) 自転車に乗れるようになったのが遅く、周りの子は乗っているのに自分は乗れずいつも走って追いかけていました。それから輪ゴムに対しては、不器用なせいでうまく掛けたり取ったりすることができずしょっちゅう痛い思いをしていたものです。この時の気持ちはまさに「なんで自転車や輪ゴムを使わなければいけないの?」でした。もちろん今ではそんなこと思っていないですよ(笑)

 

 そう、使えなければどうしてと思うけど、使えるようになったり好きになればこのような気持ちは自然と消えるのです。つまりはこのような気持ちは「必要かどうか」の話ではないのです。

 

 今通っている寺子屋塾の井上先生がよく話していることがあります。それは「脳は言い訳をする天才である」です。大脳思考というみたいなのですが、心と脳は別の器官であり、心で感じたことを良くも悪くも脳は思考という加工をするのです。僕は「どうして勉強をしなければいけないの?」というものは大脳思考の最たる代表例だと思います。

 

 

 そろそろ「どうして勉強をしなければいけないの?」という疑「念」に対する返し方の結論を出しましょう。このようなことと、それからこのように思っている相手の子は自分とは違うのだということを教える人はちゃんと認識する必要があるでしょう。そして子どもにどう伝えるかですが、素敵な言葉を贈って勉強する子に導いてあげたいですよね。しかしながらそれはどんな言葉をかけてもほとんど叶わないことでしょう←。言葉で分かってくれたならその子がとてもいい子だったのでしょう。先ほどの通り自分と相手は違うのです。いくら教科・勉強のすばらしさを伝えたところでそれは先生のものであり相手のものではないのです。つまりはその子自身が勉強する意義を見出すしかないのです。

 

 しかし勉強する意義を見出すためのヒントをあげるなら、「勉強すること」と「幸せになること」が数学で言う必要十分条件となること、2つからの矢印が双方に向いているようになることでしょう。