気分やさんの気ままなブログ

【寺子屋塾の価値を改めて考えてみた】

 かれこれ通い続けている寺子屋塾も気づけばもうすぐ1年半になろうとしています。最初は小2のたし算・引き算の筆算からやり始めましたが、気づけば高校教材の半ばに入っています。だんだん難しくなってきているということもあり、毎日の振り返りの内容も、余裕もあまりなく、解いた問題自体のことについてがほとんどになってきてしまっています。が、どうして学校の数学の教員ながらやり続けているのか、久しぶりに寺子屋塾そのものの価値を自分の言葉で書いてみました。

 

 寺子屋塾の価値は人によって見出すものが異なっているでしょう。僕が見出した価値、それは「日常の時間の動きを調整すること」にあると思います。

 

これは僕自身が学校で働いているということもあります。学校は、いつまでにここまで進めてテストをしなければいけない、という世界です。この早さについていける子は大丈夫でしょう。しかし、ついてこれない子は徐々に遅れていき、進めば進むほどその差は大きくなります。

 

 それに対して寺子屋塾では、学年、あるいは大人であることにとらわれず出来具合に応じて自分で進むかどうかを決めることができます。そして、以前にブログでも書きましたが、実は今年度、学校で受け持っていた授業とは別でらくだプリントを真似て授業に追いつけていない子たちに講座を行なっていました。上手くいったかというと微妙だったのですが、それでも普段時間の流れが速い学校の中で、その流れとは乖離した時間の流れを組み込むことができたのはやってよかったことだと今では思えています。もうその講座は終了してしまい、終わってからこのようなことに気づいたのでもっと早くに気づければもっと充実した講座にできたのにという気持ちがあります。

 

 じゃあ社会人になってやっているのはどうなのか?やはり日常の時間の進みに逆行しているのです。そして自分を見つめ直す時間が作れているのです。働いていると仕事に時間を奪われて起きて会社に行って、気づいたら夜になっていて家でも仕事のことを考えていて・・・。そして自分のことを省みる時間を作ることができていない。そのような話がよくあるのではないでしょうか?仕事という時間に飲まれているのです。そこに組み込んだらくだプリントは時間の流れを止めさせ調整し、時間をコントロールする力をやっている本人に与えているのです。

 

 だから、らくだプリントは子どもだけでなく年齢に関係なく大人に対してもやる価値を持っているのでしょう。らくだプリントに限らずインタビューゲームなどの寺子屋塾でやっているコンテンツ全てに言えることでしょう。