今回が『グズな大脳思考 デキる内臓思考』の第4章です。途中からよりは順に折った方がいいのでリンクも張っておきます。
1つ目
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
2つ目
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
3つ目
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
今回は内容をそのまま紹介するより書かれたことに関連して思ったことを書こうと思います。
この章の話の1つに子どもが出てきます。そこで考えてもらいたいのが、子どもってもともとは内臓思考していませんか?
だってうれしかったら笑い、おなかが減ったり自分によろしくないことがあれば泣きます。それって感じたことをそのままに、できる表現でアピールしているのですから。
それがやがて脳が発達して言葉を獲得し考えることを獲得し、論理的思考力を獲得していくわけです。大脳思考が入ってくるわけです。
論理的思考でもある大脳思考は必要にはなるでしょう。でなければ赤ちゃんのままなので。
ところが問題となるのは、学校に行くようになってからは論理的思考こそが大切だと大脳思考を与え続けられることです。
そのため内臓思考と大脳思考のバランスが崩れて大脳思考に偏るということになってしまうのではないでしょうか。
昨日も書いたように、内臓思考から出発して、大脳思考は思考増幅の機能となるべきなのですから。
ですので僕が崩れる時だと感じている中学3年生・高校生からこの話を知るべきだと思っています。
もう1つは「フロー状態」とか「ゾーンに入る」というものです。ブログを始める以前にツイッターかFacebookで書いたことがあった気がします。
この本では、壮子の寓話でフロー状態を「感覚や知識は働くのをやめ、心が思いのままに動く」状態だとあること、禅において主客一体(我を忘れ行為に深く入り込む)であることと紹介されています。
スポーツでは「ゾーン」とよく言われるのですが、おそらく自分も中学の時に1度だけ入ったことがあります。
バレーボールでボールが見えていなかったにもかかわらずどこに来ても受けることができた時があったのです。
本に書かれていたことではないのですが、僕はフロー状態やゾーンとは、普段は独立あるいは連動している内臓思考と大脳思考、つまりは心と身体と脳が一体になることなのではないかと思います。
つまり感じたと共に大脳でも思考するという人間離れした境地に入るということです。
ただ、どうすればそうなるかは分からないですけどね。意識している限りは無理でしょう(笑)