【連続投稿29日目 1669投稿目】
【作成日時:8/16 23:45~24:15、30分】
昨日の投稿に引き続き、寺子屋塾の井上先生が散歩を1500日連続で取り組み続けておもったことについて書かれたブログから定点観測のことを考えてみます。
改めてその記事を載せておきますので、まだ読んでいない方は目を通してみてください。
朝の散歩が連続1500日になったことでおもったこと(その1)
https://terakoya-juku.com/blog/detail/20240808/
朝の散歩が連続1500日になったことでおもったこと(その2)
https://terakoya-juku.com/blog/detail/20240809/
朝の散歩が連続1500日になったことでおもったこと(その3・最終回)
https://terakoya-juku.com/blog/detail/20240810/
寺子屋塾のブログの2つ目の投稿の中で、
「続けよう!」ってアタマで考えてる時点で
すでに力が入ってしまっているし、
ケシーさんはYouTube動画『現実創造の掟』③で、
「自分自身の見張り役になる」って
言われてましたね。
それがちゃんとできるようになれば、
それだけで十分幸せになれるとも。
でも、アタマより身体が先に
スッと動くようにまで習慣化されていない間は、
たいてい、「ちゃんとやらなきゃ!」っていう
完璧主義がネックになってしまうから、
と書かれていました。
続けようとしても続かない要因の1つは余計な力が入っているからだと思います。
実は以前の定点観測の投稿でも少し触れたのですが、この取り組み自体はというと実は余計な力を入れることとなる取り組みなのです。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
ですがそれでもなぜこの形でやっているかというと、この余計な力が入っているという感覚を自分の身体で知ることができるからです。
ケシーさんの動画でいう「自分自身の見張り役」となるための練習といってもいいでしょう。
余計な力が入っていることが分かることで、どうやったら脱力ができるか、すなわち自然に取り組むような状態にできるのかという問いを深められるのです。
さて、もう1か所引用してみます。
寺子屋塾の3つ目の投稿からになります。
人間の思考を生み出す脳のしくみというか、
そのメカニズム、構造がある程度は
把握できてきたってことは大きかったですね。
とくに仏教の考え方と
最先端の脳科学ってそのままつながっていて、
そういうふつうには別モノとおもわれている
諸々のことを関連付けて捉えることの大事さに
気づいたこともありました。
身体がコツコツ続けることに
ブレーキをかけてしまうものの正体って
ひとことで言ってしまうと、
結局、アタマの思考なんですね。
意味づけが過剰に働いてしまうと、
心を病んだりして、
いろいろ弊害が起きてくるわけで。
そういう意味では、
昔の自分はアタマでっかちというか
知ることばかりに重きを置きすぎていて、
アタマの思考にガンジガラメになっていたと
言って良いでしょう。
23歳のときに書物を通じて出会った
学んだことなんですが、
理論と実践は車の両輪のようなもので、
どちらが欠けてもいけないんだと。
ただ、ごく普通に生きていても大脳優位に
働いてしまうのが
今の世の中なんだってことや、
知識や情報が
入力過多になることの弊害がわかってきて
僕もかれこれ7年もの間、寺子屋塾に通って井上先生から学んでいます。
それだけ年月をかけていれば、まだ分かっていないことがありながらも、多少は脳科学の話と実際の体感覚がマッチすることが生じてきました。
定点観測を取り組んでいる人から、うまくいっていることもあればうまくいっていない、できていないことも聞きます。
しかしどちらのことに関しても、なぜそうなるのかということが大抵説明づいてしまうのです。
ひとことで言えば「脳のせい」に収束します。
さて、明日にもう1つ投稿して今回の話に区切りをつけたいと思います。
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今後のイベント予定
9/29(日)13:00~17:00 経営ゲーム塾B @寺子屋塾
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