【連続投稿104日目 1625投稿目】
【作成日時:7/2 15:57~16:30、33分】
今自分の中で、日々の取り組みである定点観測について特に考えていることがあります。
それは定点観測は取り組むこと自体は目的なのではなくあくまでツールだということです。
毎日やること・観察することを決めて記録していくことが定点観測として行っていることで、習慣についてを扱っているのは確かです。
ただ習慣化自体が目的というわけではありません。
やり始めた頃は習慣にすることが目的となることはありえるのですが、そこがゴールではなく、その先には自分を理解するということがある取り組みです。
つまり習慣化するために定点観測を取り組むわけではなく、自分への理解をより深めるために定点観測というツールがあるという関係なのです。
まさに昨日の投稿で触れた自灯明・法灯明という話です。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
これは最近ほかの人から言われて気づいたことですが、習慣という言葉の捉え方に特徴があるのかもしれません。
一般的に習慣ということは何かをするという「行為」と捉えられがちです。
ここで『グズな大脳思考 デキる内臓思考』という本に書かれていることを紹介します。
この本の中に学習するということか、このように書かれています。
本当の「学習」とは、「自然とできている」状態になることです。
僕はこの説明において「学習」という言葉を「習慣」と置き換えることができるものだと考えました。
この説明のように僕は習慣とは自然と何かをしているという「状態」だと捉えているのです。
つまり定点観測というのは状態の中に潜在していることに気づくワークであるといえます。
すると一見、定点観測というのは何をやるかという「行為」を決めた上で取り組んでいるので自然な状態とは真逆なことをやっているようにも思えます。
しかし、この本で本当の学習となっていくにあたって
「学習」の最初の過程では、大脳新皮質のあちこちを使用しています。しかし「学習」が進めば進むほど、大脳新皮質を使わなくてすむようになるのです。
とも書かれています。
大脳新皮質を使うというのはアタマで考えることであり、大脳思考です。
考えて取り組むこと自体は「大脳思考」であり、自然な状態というのが内臓思考だといえます。
つまり定点観測という取り組みを大脳思考・内臓思考という見方で考えた時、いかに考えてやっていることを自然に取り組む習慣に昇華できるかという、大脳思考の内臓思考化の練修ともいえます。
定点観測として取り組んで毎日続けられるようになったからといって、そこでゴールとしてしまってはむしろマズいかもしれません。
定点観測が目的になるというのはつまり大脳思考化することが目指してしまっているわけです。
ですから定点観測という取り組み自体が先行せず、自灯明・法灯明、つまり自分を観察するにあたって定点観測をしているという関係になっていることが大切なように感じています。
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今後のイベント予定
7/7(日)10:00~17:00 経営ゲーム塾C @寺子屋塾
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