【連続投稿108日目 1629投稿目】
【作成日時:7/6 15:29~16:38、69分】
毎週木曜日に行っているパルルを含めた事業である「のわ」の代表の新見さんがこのような投稿をされました。
パルルでは寄付箱を設置しています。
詳しい寄付に関する取り組みは上の記事をご覧くださればと思いますが、記事の中のこのやり取りの話は深く掘り下げるべきことがあるように感じます。
でも時々寄付制でイベントを開いていると無料だと思う人もいます。
「無料ですか?」
「無料じゃありません」
「いくらですか?」
「きまってません」
「???」
という悪循環におちいります。
でどういう仕組みなのかを説明するのですが、分かりにくくて面倒臭い仕組みと思われてしまいがちです。
なぜこのようなすれ違いが生じたのでしょうか?
このやり取りにおいて、利用する側の人は「寄付=無料」と捉えていることが分かります。
一方の新見さんは、このやり取りの前に書いていることで
普段何気なく使っているお金のことを時々は考えてみたい。そんなきっかけとしてのわでは寄付を使っています。
と考えていることから、少なくとも無料で提供するという意図ではないことは明らかでしょう。
根本的にこの話において新見さんと利用者の「寄付」という言葉の定義、扱い方が異なっているのです。
別に利用者が誤っているということではありません。
おそらく世の中の多くの人が「寄付」という言葉について聞かれると「お金を恵み与えること」といった意味を考えるのではないでしょうか?
これはつまりごはんを分け与えることと同じことです。
支払うつもりでなかったのが同情や応援といった心情の変化によって、自分の余剰を切り出してお金を出した、そういえるのではないでしょうか。
これは考えてみると、場合によりけりなことはありながらも、対等であるようで対等ではない部分があるのではないかと思います。
「自分の余剰を切り出す」という部分が分かりやすいのではないでしょうか。
また、サービスを受けたことに対する支払いでなく一方的なお金の支払いの場合はそもそも対等性という見方自体が成り立っておらず不適切かもしれません。
一方で新見さんの思っている「寄付」というのは、対等性の上で、受けたサービスの価値を利用者に問いかけ、利用者に主体性を生み出そうとしているのではないでしょうか。
サービス提供者はサービスを提供する主体であるわけですが、利用者に価値を決定する主体となることで、結果として対等な関係となっているのかもしれません。
さて、上のやり取り自体の本当の課題は何でしょう?
言葉の捉え方が人によってズレていることは、仕方のないことですから。
(言葉をその意味でしか使用しなければならない世界となったら、生きづらいどころかコミュニケーションできなくなり生きることができない世の中が訪れることでしょう(笑))
本当の課題、それは言葉の捉え方が人によってズレているものだと考えているか、言葉のズレを前提としているかです。
そしてそのズレを理解し、すり合わせていく姿勢をもつことです。
これに関してはインタビューゲームをやると非常に体感するものです。
言葉の捉え方がズレたことを認識し、そのまま進めず立ち止まって問いかけることです。
僕もこの「寄付」という言葉について、パルルに出会うまではここまで考えたことがなく、上の利用者、多くの人と同じような捉え方しかしていませんでした。
ですがパルルでの寄付の仕組みを知ったことで「寄付」の定義が実はいろいろ考えられるものであることが分かりました。
そして今はパルルの中で行っている「学びのわ」の紹介プリントを作っているところです。
この「学びのわ」に関してものわの理念に沿って行っていきたいと考えているので「寄付制」で行っています。
寄付制であることについても紹介に入れようとしているところで、僕もこの「寄付」を発信する立場となっています。
このようにして考えているからこそですが、最初に紹介した新見さんの記事というのは本当に生きる上で大切なことがこめられているように感じました。
----------------------------
今後のイベント予定
7/7(日)10:00~17:00 経営ゲーム塾C @寺子屋塾
☆定点観測を一緒に取り組みたい人、随時募集中です(^ ^) 定点観測についてはこちらをどうぞ!
☆個別インタビューゲームについても随時募集中です!