【連続投稿183日目 1521投稿目】
【作成日時:3/19 15:52~16:15、23分】
らくだプリントの投稿ではよく「数覚」や「手応え」を、ほかの投稿についても事実よりも認識や主観が乗った投稿が多いのではないかと思います。
つまるところ「感覚に生きる」ような人といえるでしょう。
しかし感覚派の人というのは自分の感覚を信じている間は強いのですが、一度自分の感覚に迷いが生まれると一気に自分の大切にしていた軸が崩れて弱かったりするんですよね~。
僕もこれまでに自分の感覚に迷いが生じて信じていた拠り所を失い、自分を信じられなくなったことが何度もありました。
2年前までは何かあると感覚を信じられなくなっていました。
ですがそれからは自分の感覚を信じられなくなる、といったことはなくなったように思います。
それは自分の感覚を絶対的だと信じられるようになったからではありません。
むしろ逆で、自分の感覚を過信してはいないかと問いかけるようになりました。
なぜ感覚に迷いが生まれるのか考えてみると、それが正しいはずだと絶対的に揺らがないものと思っていたところに感覚とズレたことに対峙するからなのではないでしょうか。
すると自分の信じていた感覚と実際のことがぶつかり合い、どちらかが折れるということになるのだと思います。
ですが自分で見えている、想像できる世界なんてたかが知れているはずですよね?
昔の自分は自分の感覚に対して自信が強かったと今振り返ると思います。
ですが今も自分の感覚は大切にしていながらも、それはあくまで今の時点の自分のものであり観念であるというように思うようになりました。
観念ですから違っていることは往々にあるわけです。
らくだプリントをやっていると、どれほど人並み以上に数学に触れている自分であっても本当に感覚と実際は伴わないことばかりです。
ワークショップを行うとなお直面します。
ただ不思議なのですが、自分の感覚に過信を抱かなくなってからというもの、ものごとの観察をしてみるとより的確に捉えられるようになった気がします。
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今後のイベント予定
3/21(木)18:00~21:00 受験お疲れ様会 @パルル