【連続投稿103日目 1624投稿目】
【作成日時:約2時間半(6/29 16:50~18:32、102分、7/1 17時~18時ぐらい)】
2週間前に寺子屋塾でインタビューゲーム4hセッションがありました。
ようやくじっくり振り返ることができそうなので書こうと思います。
今回は直前まで参加者の変動がありましたが最終的には6人集まり、ワークショップとしてはちょうどいいサイズ感で行うことができました。
それでは最初に参加者の感想を紹介します。
・今日は飛び入り参加でしたが、参加して良かったです。気づきがたくさんありました。相手のことを考えながら話を聞けたことが何回あっただろうか。人のことが怖い気持ちはまだあるけれど、人と話すことでしか自分のことに気づけないこともあると分かりました。(Ko・Hさん)
・私は私♡(H・Nさん)
・「頭をつかわないでからだに意識を向ける」「直観やノリよくやる」という想いでスタートした今回の4hセッション。ふりかえるとまずまずできたと思います。(10がMaxで3くらい)参加者の皆さん、ファシリの板さんからのフィードバックを聞いてまだまだ頭をつかっているなと感じるので、頭を使っていない度、感覚でインタビューしたり(質問したり、話を聞(聴)いたり)話したり、書いたり、読んだり、存在していたりしてみたら、どうなるのかな。
また、2人だけでやるのではなく、多くの人でやる4hセッションだと、一人では思いもよらない考えや想い、話、場面、感情を味わうなどができて、あ、今回も参加してよかったな!と感じます。(Ka・Hさん)
・アタマで考えるより身体と心で感じたことに従ってうごくことも大事だし、先に身体を動かしてしまって、物理的にごちゃごちゃ考えずに済むようにするのも大事だよなぁと改めて感じました。
考えずに答えることにフォーカスを当てながらやっていたけれど、考えずに問うこと(その場で感じたことを元に問うこと)にももっとフォーカスを当てて問いたいなとおもいました。疑問形で終わる他己紹介文っておもしろいとおもったけど、それを次使おう!とかではなく、いざというときに出せるようにそういうやり方もあるよ程度にとどめておこうとおもいます。
『話しづらい内容があるってどういうことだろう?』という問いをセッション中感じた(自分が話す側で)ので、そこはあえて持って帰って深めていこうとおもいました。(S・Mさん)
・今回はY・Oさんとのペアで本当によかったと思います。インタビューされて自分の言葉を発する中で自己理解が深まり、整理される感覚があり、よく聞いてもらえた。と満足感と、感謝でした。
また、編集の際に受け取った相手の方の気持ちを想像して恐ろしさと真剣さを受け止めているという話を聞いて、私はそこまでの想いで書いていないなーと、「うまく」書くことについ意識がいっているな。という気持ちがありました。愛と好奇心で向き合っていたい!!と思いました。(T・Yさん)
・一人ひとりの立場・ゾーン・視野が異なることからあぶり出される場の豊かさ、ゆったりと味わえました。役割は、場とメンバーが変れば入れ替わる。良い悪いはないし、正解もないなぁ・・・ この目で観、感じ、味わうこと、自分なりの納得、ものさし、そして見直し、どれもが愛おしいなぁ・・・(Y・Oさん)
こうして改めて参加者の感想を見返してみると、何度もインタビューゲームをやったことがある人についてはこれまでの様子も知っていることから前までだったらこう思っていただろうけど変化しているな~と感じた部分もあります。
それでは僕も振り返ろうと思います。
自分で考えるコツは自分だけで考えないこと
参加者の感想の中にほかの人がいたから自分のことが理解できたといった意味合いの感想がありました。
インタビューゲームをやるとつくづく感じるのですが、自分のことって案外自分が分かっていないのですよね。
他人の方が分かっている、なんてこともよくあることです。
さて、上の見出しとなっている言葉に「?」と思う人は少なくないように思います。
何を矛盾したことを言っているのだ、そんなのは自分で考えていないではないか、と。
ですが考えてみてください。
就職活動などの機会に行う自己分析などを取り組むと自分のことでありながらなかなか進まない経験はないでしょうか?
そのような時というのは自分1人だけで取り組んでいたのではないでしょうか?
ですから他者の存在というのは欠かせないのです。
もしかしたらそれは人ではなくモノだったりすることもあるかもしれませんが、いずれも自分の中の何かを引き出すトリガーとなるのです。
そしてこれを応用すると、自分でもう1人の自分を作り、自分だけでありながら2人の自分の間で対話するということを覚えます。
これがリフレクションや内省と呼ばれるものです。
おもしろいと感じるような問い
ファシリテーターだからこその視点ですが、みなさんのインタビューの様子を観察していた中で「おもしろいな!」と思った問いがいくつかありました。
僕としてはその問いというのはほかの問いとは全く質が違うように思います。
多くの問いは前に相手が話したことに対して論理的な接続となっている問いです。
「なぜそう思ったのですか?」「それはいつのことですか?」「その時どう感じましたか?」と。
別にこれが悪い問いというわけではありません、むしろこれはこれで必要です。
ですがそれに対しておもしろい問いというのは、言うならば突然、突拍子もなく爆弾を投下されたような感じです。
前の話とつながってはいながらも、論理性を超えた思いがけない質問です。
「暇になることが多くて・・・」に対して「暇なのはいけないことですか?」、みたいな質問が出てくると「おっ?」と思わされるのです。
このようなおもしろい問いが出ると、僕には出せないなぁと思います。
出せるのかもしれませんが、その人のその場の状態があったからこそ出た問いなのです。
そしてそのような問いは考えて出したのではなく「思い浮かんだ」というのが適切な表現なのではないかと思います。
という気づきの付せんを出した方がいましたが、問いについても同じだと思います。
先ほどの自己分析の話もそうですが、考えるとなかなか出てこないですし、苦が伴う。
それに対して思い浮かんだ問いはラクだし、しかるべくして出るのです。
そしてこれが問いを持つことの習慣化・日常化にもつながってくるのではないでしょうか。
自灯明・法灯明
今回は僕だけでなく井上先生も読み物を用意していました。
それはブッダの臨終の言葉「自灯明・法灯明」についての話でした。
(参考ページ)
「自灯明・法灯明」の「自」と「法」について、二つが分離するよう... - Yahoo!知恵袋
ブッダが亡くなる前に弟子に示された最後の教えだと言われている涅槃経に出てくる話です。
自灯明・法灯明という言葉について簡単に説明すると、他者に頼らず自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい、ということのようです。
もっとくだいた表現をすると、自分の中に答えはあるのだからほかの人の教えを得ようとせず、自分を観察し、そして自分に影響を及ぼす外を観察しなさい、ということです。
井上先生がインタビューすることにあたっての話として出しました。
ですが僕はそれ以降の振り返りで出たインタビューすること以外の話に関しても大いにこの話が関係していることを感じました。
他己紹介文の自分の意図と相手の受け取り方の関係、インタビューゲームの中で我執が生じた時の感触、考えずに取り組むこと、・・・。
ありとあらゆることが自灯明・法灯明を元に起こっているのではないかと思います。
今回のインタビューゲームで僕はこの振り返りの2つ目のことに関する話を、井上先生は3つ目のことをおみやげプリントで用意していました。
今回はそれが振り返りの最中に大いにつながるものとなりました。
まさかここまで振り返りで直結するようなことがあるとは思ってもいませんでした。
ファシリテーターとしてワークショップの中身を膨らませるという面でも今回は楽しめた部分があった会となりました。
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今後のイベント予定
7/7(日)10:00~17:00 経営ゲーム塾C @寺子屋塾
☆定点観測を一緒に取り組みたい人、随時募集中です(^ ^) 定点観測についてはこちらをどうぞ!
☆個別インタビューゲームについても随時募集中です!