先週の土曜日に新栄にある「のわ / パルル」でインタビューゲーム会をやる予定でした。
しかし参加者が開催最少人数まで至らず中止となってしまいました。
ただまた改めてここの会場でインタビューゲーム会をやりたいということと、のわのスタッフの人も知りたいと言ってくれました。
そこで、インタビューゲーム会に参加したい人が1人はいたことから、参加予定だった人とのわのスタッフの人でインタビューゲームをやってみることになりました。
ですから個別でのインタビューゲームにガイド役として僕が居合わせるというような形になりました。
それでは実際にやったお二人の感想を紹介します。
・合コンとかのツールによさそう!!!!マッチングアプリなんかよりよっぽどgoodなのでは??(Yさん)
・今回で3回目の参加となるが、今までとは違う感覚だった。総じて、「相手はあの時、何を思っていたのだろうか」と考え、納得がいかないことが多かった。「何のため」という問いへのアンサーは人それぞれであるが、場を作る人の意図や好みは多少反映される面があるようにも思える。(Kさん)
・・・未だかつてない角度からの感想が来ましたね(笑)インタビューゲームの切り取り方は本当に人によりますね~。
さて、僕がガイド役をしていながら考えたことを書きますね。
こうも1組のインタビューの様子を聞くことができたのは3人版の時以来ですし、それが双方のインタビューであるということは初めてのことではないかと思います。
インタビューゲームの目的は人それぞれ
今回インタビューゲームをした2人は顔を合わせたことはあったもののほとんど相手のことをお互いに知らない状態でした。
ですので個別ではありながら自己紹介をするアイスブレイクを入れることにしたのですが、いつもやっている「30秒自己紹介」にちょっと工夫をこらしました。
それは「今日のインタビューゲームに期待していること」を最後に話してみましょうというルールでした。
普通であればこのように話すことの指定はしません。
ですが今回は、片や体験学習としてのインタビューゲームを楽しみたいであろうこと、片やインタビューゲームを知りさえできればいいであろうこと、と目的に大きなズレがあることは予測していたのです。
でしたので最初にそれをお互いに出し合っておいて共有させておこうと思いました。
それぞれ上のような感想になったことが理解できることでしょう。
しかしこのように目的にズレがあることに問題はないかと思います。
やればやるほど目的や自分の中での問いが深まるということはありますが、このように大なり小なりズレがある人と関わり合うのが日常なのですから。
そしてKさんの感想にもありましたが僕の意図や好みの影響はあったと思います。
というより今回の僕の目的はインタビューゲーム会の雰囲気を知ってもらうことでしたから。
だから影響があったというより影響を及ぼすようにしたという方が正しいかと思います。
ですがこのような目的が拡散している場だとしても、そこから何を得るかはその人次第なのです。
学ぶ人はこのような場からも学びを紡いでいくでしょうから。
目線とか間の取り作り方
今回、インタビューしている様子を見ることに徹することができたからこそ気づいたことがあります。
1つは目線です。最初にKさんからYさんにインタビューをしていたのですが、KさんはYさんの方を見て質問していたのに対して、Yさんは目線を外して答えていたのでした。
我ながら妙なところに目が行ったな~なんて思うのですが、もしかしたら先月に参加した即興芝居ワークショップによって気になったことなのかもしれません。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
即興芝居なので2人組ながらお互いに話の打ち合わせをしていないながらお互いの座る向きでどんな関係か作り出されているという話があったのでした。
今回のインタビューゲームで目についたのは座り方ではなく目線でしたが、ここからも分かることがあるように思います。
もう1つが間の取り方です。
20分間、インタビューする人が相手に質問し続けるというのはなかなか難しいことなのですよね。
そのタイミングも質問が思い浮かばなくなった時のことでした。
その時に5秒くらいだけやり取りが止まったところでインタビューする側の人が「難しいですね、質問する側」と話したのでした。
それから少しの間、自分の状態を話していたのでした。
これまでここまでインタビューする様子を観察することがあまりなかったからか、僕自身この気づきには驚いてしまいました。
質問することに困ってやり取りの流れが止まってしまうという時に話すことで間を取っているのです。
それは「聞き手は聞くことに徹する」にある、雑談にならないようにという注意書きの意図とは全然別の話になります。
なぜ間を取るのに話すのかということも考えてみたいところですが、いずれにしても困った時にどのような行動をとるかというのは沈黙や慌てる以外にもいろいろあるのだと思います。
絵で表現することと言葉で表現すること
これは僕の説明漏れからなのですが、他己紹介文をまとめる時にYさんが文章ではなく絵と言葉で書き出してしまいました。
そのことを受けて振り返りで「心象図」という話を少ししたのですが、そこからKさんが言語でコミュニケーションを取る必要はないのではないかと問いを出しました。
この問いに対して僕が思ったことは2つあります。
1つは日常のこととして考えるとやはり言語でのコミュニケーションは不可欠であることが実際だろうということです。
分かりやすいのは美術館です。作品しか置いてなく文字が一切作品に添えられていない場所はないことでしょう。
逆に言語だけでも不自由になることが考えられるでしょう。
文章や話では分かりにくいということで「見える化」という手段があり絵や図にして分かりやすくするということがあります。
ところで、寺子屋塾で取り組んでいるものの1つに「未来デザイン」というものがあります。
これは自分の生きる方向性である理念を考える場面です。
どのように考えたかということを「心象図」と文章で表現します。
だからこそ自分でも理解が深まり、ほかの人にもより正確に伝えられるのでしょう。
つまりコミュニケーションにおいて言語の表現と絵の表現は、ケースバイケースである上に優劣を比べるものではなく、両方の手段があるからこそ表現の可能性が高くなるのでしょう。
そして言語でコミュニケーションを取る必要はないのではないかという問いに対してもう1つ思ったことは、コミュニケーションとは言語でも絵でもなく、心を交わすということです。
つまり言語も絵もコミュニケーションのための手段でしかなく、本質は心であるということです。
これ以上書くとまだまだ長くなってしまいそうですね(^ ^;)
ということで今回は人がやるインタビューゲームを観察することができました。
ここまで1つのインタビューゲームを見ることができるのは貴重なので僕としてもどこか新鮮さが強かったです。
次回のインタビューゲームですが、まだ決まっていないですが来月もやる予定ではいます。
もし参加したい人がいらっしゃいましたらその人に合わせて日にちも考えられたらなと思っています。
また僕とインタビューゲームをやってくれる人も引き続き募集しています。