【連続投稿166日目 1504投稿目】
【作成日時:3/2 23:03~23:42、39分】
こじんまりながらに始め出した「定点観測会」のことを書いています。
これまでの投稿はこちらになります。
【(定点観測始動その2)定点観測をするのに欠かせないツール「記録表」】
【(定点観測始動その4)「事実で測れる」観測項目を立てること】
【(定点観測始動その5)観測項目が考えつく裏には「テーマ」がある】
まだ今日のことのほかにも書けそうなことはあるのですが、始動しての投稿は今回で最後にしようと思います。
最後の話というだけあってこれまで書いたことを総合したようなことにあたります。
その5では「テーマ」が内在していて、その上で観測項目を立てているということを言ていました。
では定点観測をしていてハッとするような気づきはどのようにして生まれるのでしょう?
一見、テーマに対しての気づきが観測することで生まれるように思うかもしれません。
僕もそうなのではないかと思ってこの定点観測を始めてみました。
しかし1か月やってみたところ、実際は違ったのです。
確かに立てたテーマに対して適切だった・不適切だった・改めたこともないわけではありません。
しかしそのような気づきは「ハッと」するほどではないのです。
「ハッとするような気づき」とは大げさにいえば「この世になかった発見をしてしまった!」というようなものです。
そのような気づきがどのように生まれたかというと、なんとテーマや観測項目の「外」の部分に起きたのです!
「その4」の投稿にも書きましたが、これまではこのブログの投稿を含めていろんなことを夜遅くにやることが自分のバランスが崩れている、状態が悪い時だったと思っていました。
ですが状態が表れる部分は取り組む時間にあるのではなく、さらに「その4」で書いたようにいつやっていたかも問題の本質ではなく、つい昨日気づいたのは実はその予定を予め見越せているかなのだと気づいたのでした。
別にその日の予定を確認していたかは観測項目にありませんでした。
それにそもそも自分のバランスが崩れる時を考えることをテーマにしていたわけでもありません。
にもかかわらず突然気づいたのです。
それが僕としては「この世にない発見」だったのです。
しかしこの定点観測が関係していないわけでもないのです。
取り組んだ時間、ブログを書いた時間、予定数を毎日記録し続けたことで過ごし方への意識が生まれていました。
そして記録してはいなかったものの「その日の予定を確認したか」という事実で測れることを意識していたのです。
そこまでを含めて気づきが生まれたのです。
定点観測で問われることは適切な捉え方をするための「事実」と「認識」の分別と関係性の理解ではないかと思います。
「事実」の捉え方と「認識」の捉え方は大きく異なるように僕は思います。
ですがこの2つの捉え方はつながっています。
適切に捉えれば正しい気づきが生まれますが、誤った捉え方をすると誤解、「思い込み」が生まれてしまいます。
ものごとの捉え方の練習になるわけです。
そして捉え方を身につけると同時に自分を捉えることにもなりますから自分を理解することにもなるのでしょう。
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今後のイベント予定