気分やさんの気ままなブログ

【戯曲・演劇×福祉のワークショップ】

 11/3の文化の日メニコンシアターAoiでの「見えない人も見える人も一緒に戯曲に触れる」という戯曲を扱ったワークショップに参加しました。

視覚障がい者情報提供施設と共同してのもので、「そして羽音、ひとつ」という戯曲から作られた演劇の本番公演前に元となった演劇台本に触れる企画でした。

そしてこのワークショップのおもしろいところは企画名にもあるように視覚障がいをもつ人ももたない人も一緒になって考えるというところにあります。

なのでチラシにはなんと点字が打たれているのです!

それから参加者には事前に台本が郵送されたのですが、印刷物以外に点字になっているもの、音声データから選ぶこともできるようになっていました。

そして後半は演劇のリハーサルの見学と出演する俳優さんに戯曲を演劇にしたことについて質問することができる時間となっていました。

この日は寺子屋塾でインタビューゲーム会とかぶっていたこともあり、インタビューゲーム実践編と自分の中で勝手に位置づけて参加しました(笑)

 

 普段福祉の場に身を置いていない僕からすると最初から普段とは異なる光景が繰り広げられます。

イベントのスタッフが障がいをお持ちの方に付き添って会場の説明をしながら席まで誘導。

劇場の紹介で椅子の部分ごとの材質から色、舞台についても色に加えて広さは数字で紹介し、舞台に上がる階段の手すりの位置も説明。

司会への説明の話し方の注文が進めている最中に入る。

司会の説明だけでなく、付き添っている人がその参加者の近くで小声で話し直している声も聞こえる。

グループワークでは参加者自体は6人程度なのに10人もいる。

「〇〇です」と名乗ってから話し始める。

・・・などなど、誤解を恐れずに言えば本当に「異世界」という言い方が合っているほどです。

ちなみにワークショップ終了後に寺子屋塾に行ったのですが、やり取りが円滑なことに対して奇妙ささえ感じたりもしました。

 

 ワークショップの前半は事前に送られていた台本を読んでどのようなことを感じたか、グループで意見交流しました。

僕の入ったグループでは実際に点字に訳している方や今回の演劇の作品製作に携わっている人もいたからこその話で盛り上がりました。

点字翻訳するにあたって、原作に意味を与えてしまっては加工してしまうことになるので、翻訳の際に削ることはあっても補足するということはしていないとのことでした。

すると点字翻訳にしても目が見える見えないの違いがあっても共通することがあるように思います。

僕だけでなくほかの人も台本を読んでみても分からない部分があり、そこについてはその人が想像で間を埋め合わせることでしょう。

すると補完しようとするのは目が見える見えないに関係ないのではないでしょうか。

もちろん補完する想像のしやすさは「見る」という経験によって差が生じるかもしれませんが、一方で補完するのが難しいことに立ち向かうのは逆に見える経験に依存していない人たちの方ができることなのかもしれません。

 

 そして後半は演劇するにあたって演出を行っている山口茜さんのトークがありました。

山口さんは「マジョリティはどうするれば自分のマジョリティ特権に気が付けるか」ということをテーマに持っているということでした。

だからこそ今回の「目が見える見えない」にフォーカスが当たった企画ができたのでしょう。

山口さんはご自身で空間把握能力があまりないということをおっしゃっていました。

その代わりに聞くことで演劇の出来を確認しているということでした。

そこで僕としては、空間把握で考えている俳優などのほかの人とはどのように共通認識を作っているのか気になったので質問してみました。

それはとにかくやってみるとおっしゃいました。

やってみるとお互いに気づきが生じるし現れるということです。

そして答えを出そうとせず、1度だけで判断せず時間をおいて繰り返しているそうです。

「不安定を楽しむ」という言葉が印象的でした。

また演出にするにあたって感情を俳優にリクエストすることはしないという話もありました。

感情はコントロールできるものではなく湧きおこるものだから俳優に演じてみてどうなのか委ねているということでした。

 

 その後には演劇のリハーサルを見ました。

リハーサルは連続して2回行われて、1度目は参加者に送られていた台本どおりに、そして2回目は郵送後に台本を公演のために手直しをした状態のものでした。

驚くほど全然違っていました。

端的に言えば、1回目は1人が代わるがわる動いているようなリレーみたいな感じ、それが2回目は人同士が交わりあっている感じでした。

まさに戯曲から演劇への変化を見たということでしょう。

演劇のことが分からない僕ですが、リハーサルを見ていて思ったことは俳優さんとしても1回目より最新の2回目の方がやりやすそうに感じていそうにどことなく。

終わった後にも俳優さんに質問をすることが時間が儲けらえていたので質問してみました。

 

 そして1週間後には本番を観に行きました。

そして山口さんは「マジョリティとマイノリティ」にこだわりを持っているとおりの作品だと感じました。

作品には認知症をかかえている(らしき)老女が登場するのですが、誰にでも表と裏があり、その2つの面を持っていながら生きるのが人であるように思いました。

その2面性を人によって向き合って受け入れたり駆使(悪用?)したり自分で滅入ったりと異なるのだと作品を通して思いました。

まさか一番憎たらしく思った人が一番まともで、寄り添いたくなるような人がどうしようもない人だったりと一杯も二杯も食わされました(笑)

表と裏の2つの面は無意識にも1つに混ざり一人の人を成しているのだとこの作品から考えさせられました。

 

 今回のワークショップと観劇を消化できたかというとまだ全然できていないのですが、こういう見方ももっと深めていきたいなと思いました。