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【『世界は贈与でできている』のオンライン読書会に参加しました!】

 先週に『世界は贈与でできている』(以後『贈与』)という著書のオンラインでの読書会に参加しました。

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

こちらの読書会にも参加しましたが、今回の読書会のファシリテーターも実は同じ人がやっているものになります。

というのも今は『言葉のズレと共感幻想』を扱っていますが、その前にやっていたのが『贈与』での読書会でした。

でしたが僕はというと度々日程が合わずでこちらの読書会は参加が叶わずとなってしまっていました。

ただ寺子屋塾で今回の主催者の方や井上先生からオススメもされて、実際パラパラ読みしただけでもこれはいい本だというのは確信をもっていました。

そういった状況で、今回主催した方がこの本で読書会をしたいということで今回の会が決まったということで、僕としては願ったりかなったりの参加でした。

 

 今回の読書会もオンラインか対面かの違いはあるものの読んでなくても本があれば参加可能となっていました。

ただ僕としては事前に内容を知っておきたかったので、読書会までに第3章の冒頭までは自分で読み進めました。

けれどもここで部分的に読んだ時とは違ったような感じを受けました。

それはある種の読みにくさでした。

嫌われる勇気」はおかしい?批判と感想を述べる - マインドゲーム

アドラーの教えが書かれている『嫌われる勇気』を読んだ時と似たようなものでした。

『贈与』では事例を引用した上で「贈与」という言葉を定義することから始まるのですが、引用からの定義づけがどこかこじつけというか間違ってはいないけど腹落ちまではしないような感じがありました。

最も『嫌われる勇気』よりは幾分もマシでしたが。

ですがこの類の書かれ方は著者の定義と反発していても読み進められないので受け入れて読み進めました。

『贈与』に出てくる言葉の定義を3つ紹介しておこうと思います。

お金で買うことのできないものおよびその移動を「贈与」という。

「私は受け取ってしまった」という被贈与感を「負い目」という。

計算可能な贈与(それは贈与ではないが)を「偽善」という。

そしてその先も読み進めてみると理解しながら読めているというところもある一方で、定義の是非関係なしにもう一つ捉えきれていないなと感じる部分も多々ありました。

それでも3章途中までの論述の展開をつかむまでには読めました。

これはパラパラ読みしていた時点でも感じていましたが、3章途中まででも資本社会はこの世界のごく一部でしかないなと思いました。

 

 そして読書会に参加したのですが、すると自分にはなかった見方や本の内容に関するその人の具体的なエピソードといった材料が出てくることになるわけです。

子育てにおける愛情や祖父母と孫の関係の話が出てきました。

すると僕も見方が広がるわけで、自分で読んでいた時には思いうかばなかった「教えること」も贈与に大いに関係するものだと気づきました。

自分が傷ついたのは実は偽善であったがゆえだったと辻褄が合ったのでした。

それから読書会の数日前に自分の中でふと「負の贈与(分かりやすいのはいじめとかDVとかパワハラなど)」もあるのではないかと思いました。

そして読書会でほかの方が「愛された分だけ愛することができる」「恵まれている分だけ恵む」と出されたことで「負の贈与」についての考えも深まったのでした。

「負の贈与」も同様に言えるであろうから根深い難しいものだといえるのだろうなと思いました。

 

 自分では読み進めにくかったところも読書会では理解が進んで読みやすさが増しました。

ファシリテーターの人が前からこの本は非常に読書会にいい本だと言っていたのも納得です。

読書会終了後にも延長戦が行われたほど充実した読書会でした。

すでに次回も予定されていて、12/5(火)の夜に行なわれます。

僕もまた参加しようと思っていますが、もしよければ!

https://torus-donation02.peatix.com/view