気分やさんの気ままなブログ

【「分身できればいいのになぁ」は本当にそうなのか?】

 少し前からもともと6・7月の土日の予定が盛り上がってまいりました、っていう感じにはなっていました。

それに加えてここ最近は、これからに向けて準備を進める必要があるわ、直近のワークショップの確認があるわ、やり取りするところが各所にあるわ、ブログもあるわと思うことがある日々です。

にもかかわらず昨日は各所で長話していたりとか。

決して無駄にはならない大切な時間であることが分かっているので、長話自体にネガティブな気持ちはありませんが。

 

 そんな時にみなさんも「自分が分身できたらな~」なんて思いませんか?

僕も久しぶりに頭に浮かび上がったわけです。

なんですけど、仮に分身できたならば本当にそれはいいことなのだろうかと疑問に思ったのです。

さぁ謎の妄想タイムです(笑)

 

 分身で自分が増えることができれば何がいいかというと、やれることが倍になることにあるでしょう。

同時に2つのことを物理的な距離を超えてできるわけですね。

逆にいえば1つの場でやるということに対しては、そりゃあ2人いたら楽でしょうが、それよりも別々のところにいる必要があることに対しての方が強いのではないでしょうか?

ここで思ったのです。

この2体は心を交えることはあるのだろうか?

と。分身できてやることができたらいいなと思うことは、2体が独立した活動をすることを考えていませんか。

もしだとすれば終わった後、自分でない方の経験は得ることができるのだろうか?

仮に得ることができるとなっていたとしても、もう1体が経験したまるっと1人分の経験を本当に吸収しきれるのだろうか?

 

 そう考えた時にそれではなんか破綻しそうだと別の仮定を立ててみた。

では分身は別の客体ではありながらも、自分と同一体であればどうか。

つまりは身体性が同じだけではなく、思考も感情もすべてを常に共有し続けるというわけだ。

もはやそれは2体の共有なのではなく、思考も感情も1つという方が適切かもしれない。

しかしそれこそ2人分の思考や感情を制御することができるのだろうか?

僕はできる気がしませんが。

 

 しかも、あることをしている中で、ほかのことについてもふと思いつくこともあるわけです。

そういったことは分身して起こるのだろうか?

そう考えていくとあまり分身できることがありがたいことに思えなくなってきました。

できたらいいなという妄想に始まり妄想を重ねたらやっぱいいやなんて思うとは(笑)

ナルトよ、教えてくれってばよ(笑)

 

 

 ですがこの妄想からの副産物もありました。

自分が分身できたらということで2つの仮定をしましたが、その2体が独立しているか同一であるかの0か1かという極端な関係が先に思い浮かぶということです。

人と人との関係のような分からないこともあり、でもそれを分かるためにコミュニケーションをとる、といった独立と同一の中間的な発想が出てこなかったのです。

ここから人と人との関係、コミュニケーションがいかなるものかということを考えられないでしょうか?