昨日の続き、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』という本の感想です。
昨日の投稿で2つ感想を書いて、今日は残り3つです。
どのような内容かというのは昨日の投稿を見てもらえたらと思います。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
3つ目はどのように箱から脱出するかということについてです。
しかし、この本に書かれているとおり、既に脱していることは認知できても脱した瞬間を認知することは不可能に近いレベルで困難だと僕も考えています。
ですが脱する術はあると思っています。
それは問いをもち続け、深め続けることです。
1対1の関係ではいたってシンプルで、相手をより深く知ろうとすることです。
そう、インタビューゲームの意識を常に持つことです。
この本を読むにあたって、自分の体験と重ね合わせて読み進めていて、後にも書くのですが箱から脱するということがインタビューゲームをやっている最中の感覚にあったのです。
また、自分個人でのことにも同じことが言えます。
つまりは、自分で自分自身に問いかけて自分のことをより深く理解するのです。
自分でありながら別個のものである大脳思考と内臓思考に交流させるのです。
さて4つ目からは本旨とは外れていくのですが、この本を通してなぜかワークショップを通して学習をすることについてを深められました。
それはワークショップを通った人なら誰しもがぶち当たる壁で、ワークショップでは学ぶことができたのにそれを日常に還元できない、というワークショップあるあるです。
それがこの「箱」と実は大いに関係しているというのが僕が見出したことです。
この本を会社の代表からもらった時に「肝心な脱し方が書かれていなくてセミナーを受けると分かるようになっているんだよね」と言われて渡されました。
読み進めている時もこの言葉が頭の片隅に残っていました。
ですが読んでみたら、なんだ書いてあるじゃん!、ってなりました。
それが学びの本質であり同時に3つ目の感想に加えてもう1つの「箱」から脱する方法です。
それは自分から得よう・学ぼうというマインドセットです。たったこれだけです!
考えてみてください。自主的に参加したワークショップって有意義なものとなっていませんか?
逆に無理やり参加させられた研修ってつまんないことありませんか?
自分から学び進めたものとか自由研究とかってなんだかんだ楽しくありませんか?
学校で教え込まれることって苦痛が伴いませんでしたか?
これらの違いはいかに学ぶ対象に興味関心を向けられているかです。
最後の5つ目は、勝手な妄想なんですが、易経との結びつきです。
このうまくいっていない状態を「箱」という立方体として表しています。
それに対してインタビューゲーム時にうまくいっている時の状態を僕は、お互いが楕円球体上の共同空間(スペース)にいるイメージをもっていました。
それがどう易経と結びつくのかということですが、易を成している陽と陰はものに例えて象徴させています。
易経として用いられている代表格は天と地ですが、それ以外にもあるのです。
その1つに陽は「円」であることに対して陰は「方(四角形)」というのです。
するとたまたまながら不思議に思えるのは、同じものなのに僕は好ましい場合として「楕円球体」、この本は好ましくないものとして「箱」と表現していることが易経の話と対応しているのです。
そして易で陰陽が一概に良い悪いものでないこと、善の裏は悪であり悪の裏は善であること、善は次第に悪に向かい悪は次第に善に向かう。
「箱」と「スペース」も同様なんですよね。もう一度言いますが「箱」自体は悪いものではありません。
このようなことを1冊から考えることができたので読み進めていて楽しくて仕方がありませんでした。
その分読み進めるのも時間がかかりましたが←
人間関係に限らずうまくいっていない時に読んでみると何かヒントとなるかもしれません。