気分やさんの気ままなブログ

【久しぶりにインタビューゲーム会を開きました!】

 いつも通っている寺子屋塾の横の部屋(無目的ルーム)をお借りしてインタビューゲーム会を開催しました。

インタビューゲームとはどのようなものかについてはこちらをご覧ください?

 

イベントページを立ててから開催当日までの期間がそれほどなく集まるか不安もありましたが、最終的に参加者は4人とちょうどいい人数での開催となりました。

インタビューゲームが初めてという方もいたり、やったことある人も久しぶりだったりとでおもしろいインタビューゲーム会になりました。

 

 それでは参加者の感想を抜粋して紹介します。

・リフレクションで、他の方の捉え方の違いを聞いて刺激を受けましたし、それは参加者の方の問題意識の高次の考え方を探ろうとしているのが印象的でした。

・相手になりきって自己紹介文を書くことで、相手のことを観察しているようで観察できていないところに気づくことができました。ぐっとくることを聞いた方がインタビューする側もされる側もたのしい時間になるのではないかと思いました。

・私のバラバラの話を最初から最後まで話がまとまるように繋げて編集してくれたのは嬉しかったです。

・(話し手の時にインタビュー相手に質問をお願いしたことについて)依頼する時はお願いしていいか迷いましたが、お願いしてみてスッキリして良かったです。一方、聞き手の「聞く自由」を制限する可能性もあったり、自らの範囲内でしか話が展開しない可能性もあると振り返って思いました。

コミュニケーションで大切なのは、自分自身で無意識に感じていることを無意識で覆い隠して「偽善」とするよりも、自分の「偽善」を看破して「ありのまま」に認めることからしか本当のコミュニケーションは始まらないとも思いました。

 

 今回はみなさんの様子を見ていて「おっ?」と思うような出来事もあったり、参加者から自分もこれまでに意識的に考えたことのない質問も出てきたりしました。

また、その方が繰り返しインタビューゲームをされているからこそ考えたこともありました。

振り返りの時間から特に印象的だったことや考えたを大きく3つ紹介します。

 

他者によって今までの自分のことが整理される

 僕もよく感じることなのですが、いきなり「あなたはどんな人ですか?」と聞かれても答えるのが難しくないでしょうか?

それがインタビューゲームをやると自分のことが整理できたと実感できるということが今回に限らずよく感想ででてきます。

自分が自分のことをまとめようとすると、すべてを自分が経験していて話せすぎてしまうがゆえにどこを取り出すかという見方やどこまで話すかという奥行きに迷うからではないでしょうか?

自分だと迷ってしまうまとめる役割をほかの人が担うことで、相手の人が持ち備えている一定の見方・尺度でまとめられていると言えるのだと思います。

 

他者によって今までとは違う自分の見方が生まれる

 振り返りの時に、自分のことについて意見を押し付ける傾向があるということや、ほかから知り得たことをあたかも自分の意見として言っていることに気づいたということを言った方がいました。

インタビューされることによって自分の経緯が整理されることに加えて、振り返りの時間があることで自分の価値観や考え方が顕在化されるのです。

インタビューをした相手は押し付けられたと思わなかったし、また自分の意見でなかったとしても別に自分の意見出ないことを言う必要はないと思うと、言いました。

この意見には謙遜もあってのことかもしれません。

ただ自分の言動に対して自分自身はこのように思ったという、自己を俯瞰して見れたことに意義があったのではないかと思います。

このように自分を俯瞰して見ることができたのは、受け取って反応を示してくれる相手がいたからと言えるのではないでしょうか?

 

インタビューゲームに絶対的なものはない(=事実を観察・認識して自分がどう意味付けするか)

 初めての人もいらっしゃったのでインタビューゲームの目的の話をしました。

しいてインタビューゲームそのものの目的を挙げるとすれば「自己理解を深めること」と「コミュニケーションをより深く考えること」でしょう。

しかしやってみれば分かりますが、インタビューゲームをやる目的は人によって異なることが往々にあるのです。

また、インタビューゲームのルールも一見決まっているようでありながらも絶対的ではありません。

例えば、今回実際にあったことで、話し手が聞き手に質問してもらいたい内容を伝えて質問させることについてのルールは明記されていません。

また、インタビューする際の「注意事項」はありますが、これはあくまで「推奨事項」です。

ルールに「〇〇してはいけません」というものは存在していないのです。

また、他己紹介文を書くにあたって書き出しだけは指定がありました。

「私は○○○○(相手の名前)です。」から始めるのですが、今回起こったのがこの書き方どおりでなかった人がいました。

僕は書いている様子を巡回していた時に見つけたのですが、ここで指摘するか考えたのです。

「書き出しのルールがありましたよね?」と学校であれば言っていたかもしれませんね(笑)

ですがここは何かをさせる場ではなく、むしろ起こったいかなることに対しても観察して気づきを得る場でありたかったので、あえて指摘しませんでした。

指摘しないで進めることで何が起きるのか、僕自身も興味があったのです。

自分をどう捉えるかにもつながることですが、結局は自分が観察して見つけた事実に対して自分がどのように解釈・意味付けするか、それによってインタビューゲームはできているのではないかと思います。

ゆえにインタビューゲームは不変的なものではなく、いまここにいる人によって構成されているという考え方はできないでしょうか?

 

 ちなみにこちらはインタビューゲーム中に部屋にあった本でふと目に留まって気になった本。

 

 さて次回ですが、これから月1回個人でインタビューゲーム会を開いていけたらと思います。

次回はまだ確定はしていないですが、5月の終わりにやると思います。

また、次は場所を変えて行なおうと考えています。

興味ある人はご連絡ください。

また、個別でインタビューゲームをやりたいという人も募集しています!