さてさっそく何も書くことが思い浮かばない日が来てしまった・・・。
こうするといつもするのがツイッターのトレンドを見てネタがないか探し、ないと次はFacebookのタイムラインをさかのぼる。
これでも見つからないことが割と多いけど今日は知り合いの投稿を見て思い浮かんだぞ。
昨日の『ドラゴン桜』の延長戦みたいな話になるけど、出てくる話が、何かをやるにあたって1から自分で考えるのではなくほかの人がやっていることを真似してみろということだ。
最初の方については、ちゃんと自分で考えてみろと突き返す場面も別のところではあるけどこの場面では根拠のないオリジナリティよりも型を踏まえてのことを学び取ることの重要性を言っています。
それに時間の無駄ということも言っていました。
あとこれに近いのではと思うのが、問題を解くにあたって出題者の意図を考えろという話だ。
僕も算数については小学校から考えていた部分なので分かりみしかないことなんですよね。
例えば小学5年生で習う約分。僕の場合は公文式で確か4年生の時にはもうやっていたことでしたが。
まず前提として問題として出されている以上、約分できない問題はないということ。
そして、「24/60」みたいなあからさまに大きい数字の時は何かしら大きい数で約分することを求めている、みたいなものです。「大きい数」というのは2ケタの数か。
あとは中学の方程式の問題とかであればよっぽどなことがない限り変な分数の答え(分母が16とか)になるはずがないとかです。
同様に一見複雑そうな文章題も答えはきれいにさばけるはずだとか。
中学・高校の頃なんかは数学では特に出題者の意図を読む、メタ的な視点を利用していたと思います。
なんだけど、僕の中でいまだに答えが出てないのがこのメタ思考の良し悪しなんだよな~。
確かにだいぶ楽にさせてもらったけど、逆にとらえるとその分邪道に逃げたということでもある。
ズルをしたとまでは言わないが考えるべき部分を避けたということにほかならないのではないか?
レースゲームで例えれば、コースをショートカットすればタイムは早くなるが本来のコースを走ってのテクニックを得る機会を失っているわけだ。
数学なんか特にそうで、ショートカットした部分を吟味したことで気づくことができる大切なこともあるのだ。
極端な話、これの悪例が公式丸暗記であり、そこに応用性は何も生まれない。
逆に公式としてなっている過程を理解すれば、万が一公式を忘れても自分で作り直せるのだ。
僕の中で答えが出ないという理由はおそらくケースバイケースのものだからだろう。ただ、だから子どもに教える時にメタ思考をしてごらんとはめったに言わないことなのです。