この内臓思考・大脳思考の話も一昨日から始まり、昨日、そして今日で3/5です。ようやく内臓思考の真髄に迫っていきます。
思考の話をする前に簡単に身体の起源を紹介します。細胞の始まりから次のような流れで身体は作られていったそうです。
腸(内臓)→脳幹→大脳旧皮質→大脳新皮質
このように内臓が先に生まれてその後に脳は生まれているのです。つまり脳は元々は内臓のはたらきを補完するために生まれたものなのです。
脳幹・大脳旧皮質というのは「内臓脳」とも呼ばれ、内臓に近い部類のようです。一方、よく思考する部位として知られている大脳新皮質とはまさに「大脳思考」を作り出している器官です。
この身体の発達を理解すると、なんとなく字面から内臓思考が大切なのだと思えてくるのではないでしょうか?
では、その内臓思考はどうやって身につけられるか?それは「体験」です。体験を通して身体で感じる(体得する)ものこそが「内臓思考」なのだと書かれています。
なので、一昨日に書いたような感覚では不十分といったのは、言葉にされる前の感じたそのものこそが内臓思考だからです。言葉で思考するものではないのです。
それを理解した上でここからは内臓思考は感覚によるものと見ていきましょう。
その言葉ですが、言葉というものは人類特有の大脳新皮質によって獲得できたものになります。
しかし身体の生まれは最初に書いたように大脳新皮質より内臓が先なのです。
ということは内臓思考である感覚が先にあり、その上で大脳思考によって生まれる言葉で補完する、という関係であるのが節理に合っているわけです。
言葉にすることにいくら力を入れても、内臓思考から出発していないものは本質をおさえられていないことになるのです。
ですが逆に言えば、一昨日は敵に回っていた大脳思考も、正しく使えれば大きな力になるということでもあるのです。
さて、内臓思考こそが人間の「本能」という話も書いてありました。
ほかの動物の例が載っていたのですが、ホヤは必要でなくなれば食糧として脳を食べるそうです。
それから、オスライオンは種の繁栄のために、メスライオンに子育てをさせないように子どもを殺してしまうそうです。
2つとも大脳思考の源である大脳新皮質はないわけですから内臓こそが本能を生み出していると考えられるわけです。
決して彼らのことを認めるわけではないことを理解いただいた上で聞いてほしいです。ここで思ったのが、人殺しするような犯罪者はある意味で内臓思考のままに行動した結果なのではないかと思ったのです。考えてみればホヤやライオンの話と近いものがあるでしょう。
これは空想にすぎませんが、犯罪心理として、他者が生きていることが、恐怖をも含めて自分にとって不利益を被る存在だからなのではないかと思ったのでした。
無差別殺人の際に聞く言い分で「誰でもいいから殺したかった」という言葉を聞きます。
もしそれが内臓思考から由来するものだとすれば、この言い分は何も嘘偽りない発言だと言えるのです。そしてそれ以上の表現もそこには存在しないのです。
・・・まぁ、空想に過ぎないんですけどね。体験すれば内臓思考で共感できるのかもしれませんが、もちろん人道に反していることなのですることも決してないですから。