さて昨日の投稿の続きで第2章の話になります。
しかしここで困ったことに、この部分では学術的な話を引用して書かれているため、ここに書いても伝わるかというところです。
それどころか僕自身も読んで理解が追いつかないことでもあります。
そういった事情もあるので、結論的な部分だけ紹介しようと思います。
大きなトピックは2つです。1つ目は学習についてです。この本には
学習とは「自然にできている」状態になること
と述べています。
これを読んで共感したことがあります。それは普段やっているらくだプリントを終わってから書く振り返りにも「自然にできる」という言葉を用いているのです。それはこの本を読む以前からのことでした。
しかしながら、この「自然にできている」も抽象的な感覚由来の表現です。らくだプリントのことで他の人から「自然にできているとはどのようなことか」と訊かれたことがあります。
その時は「考えることなくスラスラできること」と説明したと思います。しかし、いま改めて考えてみると「自然にできている」はこれ以上言い換えることができないものなのかもしれません。
それに著者の「自然にできている」と僕の「自然にできている」は同じ表現であり異なった感覚かもしれません。
ただ、「大脳思考は学習の初段階に過ぎない」ということにも僕は共感できました。
この本に挙げられていた話ですが、自転車に乗る時に交互にペダルをこぐとか右に曲がるために体重を右にかけるとか考えながら乗っていないですよね。
もう1つは「潜在意識」というものについてです。これともう1つ「顕在意識」が紹介されています。
顕在意識は日常的な意識、あるいはいつも意識にあることではないけど時々その都度意識するようなものです。
一方の潜在意識とは無意識レベルのものだと紹介されています。意識がないのです。つまりはこの本は無意識をいかにして引き出すかという話になっていきます。
しかし、無意識を引き出して意識できるものにするなんて矛盾めいた話ですよね。
でも僕は大脳思考から内臓思考に切り替わったという時に感じた感覚がありました。それは三次元の世界から四次元の世界を見るという感覚です。
本当に経験したわけではないですが、「超立方体」という四次元世界の立方体の様子を説明している動画がありました。それ自体は理解できていません(笑)
なのですが大脳思考から内臓思考に変わった時に感じた感覚がまさに「超立方体」の動きのようなものだったのです。ぐおーんと三次元の物理法則を無視してやってきたという感じ。
そういうよく分からないものながら人に宿っている内臓思考の正体に迫るのが次の章になるわけです。
そういえば、マンガの『BLEACH』の斬魄刀・斬月を見つけたこのシーンみたいなものかも。無数に散らばっているどの刀も本物でなく、心?体?から斬月を引き抜き出したシーン。