【らくだプリント 小2-1】
さて小2のプリントに、引き算の計算に入りました。
最初ながらも書いてあるのが数式だけなので、はじめてやる子はできるのだろうかとも思います。
しかしこれこそ以前に書いた話で、1回でできることを前提としなければ、答えを観察して、そこからどう考えればできるかという見え方ができることでしょう。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
【らくだプリント 小2-1】
さて小2のプリントに、引き算の計算に入りました。
最初ながらも書いてあるのが数式だけなので、はじめてやる子はできるのだろうかとも思います。
しかしこれこそ以前に書いた話で、1回でできることを前提としなければ、答えを観察して、そこからどう考えればできるかという見え方ができることでしょう。
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
これで小1のプリントがひと通り終わったので、改めて振り返ろうと思います。
全部で24枚のプリントに取り組みましたが、最後のプリントをやって思ったことがあります。
それは、こうやってブログに投稿を続けていますが、1枚につき1つ以上何か気づきを考えつかなければいけないといった強制さがなく、安心感があるということです。
らくだプリントを通してアウトプットすることを先月から始めましたが、取り組み始めた時には1枚につき1つは書くつもりでいました。
ですが、毎回思いつくとは限らず、1枚やっても書きたいことが浮かばなかった時は今後取り組み続けられるか不安になりました。
ですが今改めて顧みると、1枚で2つ以上書きたいことがあったという時もあり、ちゃんと考えていることをひと通り書き起こすことができました。
数日前に投稿したこちらの内容とも重なりますが、らくだプリントには学習者に安心感を与えるようになっていると感じました。
【らくだプリント 小1-24(続き)】
※今回から著作権に抵触するおそれがあることが分かったので全体のプリントの様子は載せないことにしました。
0が含まれる足し算の方が快感があるのは僕だけでしょうか?(笑)
たとえば「21+5」より「51+20」の方が好きなのです。
以前から考えていた理由は、0という数が美しいというか、キリがいいというある種の美的な観点でした。
それに加えて今思ったことがありました。それは計算を細かく見れば、「21+5」は1+5をやるだけ、「51+20」は5+2をやるだけと実は計算の度合いは同じなのです。
しかし僕が「51+20」の方が好きなのは、大きい数で「普通は」2ケタの足し算の方が計算する部分が「多いはずながらも同じである」、と無意識ながらも思っているからなのかもしれないとやりながら思いました。
この部分を切り取るだけで、数学に限った話だけではない、自分の性格が表されているように思います。
【らくだプリント 小1-24】
とうとう足し算の、小1の最後のプリントにたどり着きました。
やる前にたしざん「まとめ」となっているのは目に入りましたが、3問やったところでこのプリントがだいぶ大きい数の足し算、2ケタ+2ケタまでは出てくるだろうなと頭をよぎりました。
そうしたら最後には「200+200」がありました。
さすがにそこまで大きい数が出てくるとは思いもしませんでした。
こうやって今までに出たことのない難しさの問題がまとめに出てきたことについてを思ったのはどうしてだろうかと問いが生まれました。
そこから「まとめ」とはいかなるものかということを考えさせられました。
言葉のあやでもありますが、「まとめ」というと普段は今までにやったことだけをまとめたものと思っていたということに気づきました。
ですがここのらくだプリントのいう「まとめ」とは考え方・応用の仕方までをひっくるめて「まとめ」といっているように思いました。
だからこそ「まとめ」ながら今までに出てこなかった3ケタの計算が出てきたのではないでしょうか。
【らくだプリント 小1-23】
ふと思ったのですが、位ごとに計算すればいいことはどのタイミングで学ぶのでしょう。
学校で学ぶのとらくだプリントで学ぶのとではタイミングが異なるような気がしました。
寺子屋塾で先生に聞いたところ、表面上で分かることではないものの、おそらく学校教育とは異なる学びは起こっているだろうと思われていました。
ただ、だからといってそれは言葉で説明がつくものではなく、その人自身がやったことでしか分からないことだろうとも言っていました。
科学的根拠とか統計的な立証もすることがかなわないものだとさえ僕は思います。
位ごとに計算することができるということが書かれているわけではないですし、学ぶ人が自ら気づけば得られ、気づかなければ過ぎ去ることです。
しかしだからこそ、純粋な学びが起こるのでしょう。
ちょうど哲学対話というイベントの場で「計画的な偶発性」という言葉が出てきました。
主催者である西尾さんが哲学対話を開催しての振り返りをブログに書いているのでよければご覧ください。
その時は「対等に話す」ことがテーマでしたが、この「純粋な学び」にも同じことがいえるのではないかと思いました。
【らくだプリント 小1-21~22】
小1の教材は足し算の計算のみとなっています。
そうやって聞くとたったそれだけと思うかもしれません。
しかし足し算だけということは、それだけ大切であり練習をする価値があるということの裏返しでもあります。
足し算のプリントがもう少し続きまして枚数にして24枚、問題数は2423問にもなります。
それだけやれば十分でしょと思うでしょう。
そうやって思えるほどやることができる機会というのは貴重であり、実は大切なことだと思います。
【らくだプリント 小1-19(続き)~20】
20のプリントの終わりがけに今までにはなかった「3+11」のような、あからさまに後ろの数の方が大きいものが出てきました。
人によることではあるでしょうが、僕は「3に11を足す」という考え方はなかなかやりにくく感じます。
なので「11+3」と入れ換えて考えます。
やりづらいからこそ「足す数を入れ換えてもいい」ことに気づくことになるのではないでしょうか。
ここ以前の時点で気づくこともありえますが、1ケタ+2ケタが出てきたこのプリントの問題こそやりづらさが際立っているかと思います。
そしてこの入れ換えてもいい(数学的には「可換である」といいます)ことが非常に便利なものにさせているのではないでしょうか。
入れ換えることができるという性質があることで足し算というものが単純なものになれている気がします。
中には入れ換えることができないものもあるわけですから。
そしてこの「作用させる順番を入れ換えることができる」という話が高校以降で合成関数を学ぶ時に活きると感じます。
【らくだプリント 小1-19】
とうとう「+9」も出てきて、足し算の終わりを感じてきたところにきました。
足し算の次にあるのが引き算ですが、「+9」の足し算が同時に引き算へのいざないにも感じます。
一の位に注目するとそれは気づくことができます。
一の位だけを見ると足される数の一の位から答えの一の位には1小さくなっているのです。
【らくだプリント 小1-16~18】
前のプリントまでは「+5」までの計算でしたが、ここから「+6」より大きい足し算が出てきました。
この「+5」まで様々な形で計算練習をした後に「+6」からに進むという流れが、すごく意味を含んでいることだと思うのです。
足し算だと認識しにくいかもしれませんが、かけ算だと分かりやすいと思います。
九九で5の段までと6の段からの難しさは、ただ数字が大きくなっただけではないように思いませんか?
これを見ている人の中にも、小学生の頃に6の段以降を覚えるのに苦労した人もいるかもしれません。
6~9の数字は、数を表すには実用性がありながらも、計算などの機能性については不自然な存在となっているのかもしれません。
0~9までの数字を使うというのは、「10進数」というものであり、日常生活で採用されている記数法です。
世の中には10進数しかないわけではなく、例えばパソコンの世界などでは0と1だけの「2進数」も使われています。
それに決め方次第なので「5進数」だろうが「6進数」だろうが「20進数」でもいいわけです。
その上で話をすれば、機能性については5の段まで扱うことにすればいい、とするならば1~5に0を加えた「6進数」を採用した方が計算しやすい世界になるのかもしれません。
ですが「6進数」の世界で表すことになる場合、「100」という3ケタの数字は実は10進数でいうところの「36」にあたります。
2ケタの数字で表す範囲が0を含めて35までというのはちょっとショボい感じがしませんか?(笑)
(それ以外にも理由はあるでしょうが)だから10進数がしっくり来ているのではないかと思います。
ここに6~9という数字がもつ便利さと不便さがあるのではないかと思います。
最後に余談ですが、九九を学ぶにあたって、実は5の段までさえ覚えれば9の段までできるという「フランス式かけ算」というものがあります。
よかったら見てみてください。
【らくだプリント 小1-13~15】
14のプリントをやってみたところ、各列ごとに見て、1問ごとの答えは多少の大小がありながらも、列ごとで全体を見ると答えは小さいものから大きくなっていました。
多少の大小のちらばりはありながらも、進めば進むほど数が大きくなっていくというのはこの世界の本質であるように感じます。そして難しくなっていくわけです。
人の成長も時には後退することがありながらも全体的には向上して高度なことになっていく。
技術の発展も時間が経てば経つほど複雑化する。
資産も時間が経てば増大していくが考えることや選択肢が多くなる。
だからこそ、12+3をただその数字のまま考えるのではなく、2+3をしたものに10を付けるように、工夫して考えることが出てくるようにもなるのではないでしょうか。