【らくだプリント 小1-23】
ふと思ったのですが、位ごとに計算すればいいことはどのタイミングで学ぶのでしょう。
学校で学ぶのとらくだプリントで学ぶのとではタイミングが異なるような気がしました。
寺子屋塾で先生に聞いたところ、表面上で分かることではないものの、おそらく学校教育とは異なる学びは起こっているだろうと思われていました。
ただ、だからといってそれは言葉で説明がつくものではなく、その人自身がやったことでしか分からないことだろうとも言っていました。
科学的根拠とか統計的な立証もすることがかなわないものだとさえ僕は思います。
位ごとに計算することができるということが書かれているわけではないですし、学ぶ人が自ら気づけば得られ、気づかなければ過ぎ去ることです。
しかしだからこそ、純粋な学びが起こるのでしょう。
ちょうど哲学対話というイベントの場で「計画的な偶発性」という言葉が出てきました。
主催者である西尾さんが哲学対話を開催しての振り返りをブログに書いているのでよければご覧ください。
その時は「対等に話す」ことがテーマでしたが、この「純粋な学び」にも同じことがいえるのではないかと思いました。