【連続投稿106日目 1444投稿目】
【作成日時:12/17 ※ながら作業になったため測定できず】
【らくだプリント 小5-(30(続き)~)32】
32番のプリントからは分数の割り算が始まりました。
分数の割り算で思い出したのが、分数の割り算ってどういうことかよく分からないという話です。
操作的には可能でありながらも、分数を分数で割ることについて日常的な具体例があるわけではなくイメージできないために何を意味しているかが分からないということです。
そう考え出してみると、前のプリントの小数と分数のかけ算も同様に「意味が分からない」ものだなと感じます。
ここからは半分は僕の憶測が入りますが、そもそもの話で数学というのはすべてが実際に世の中で使うためにあるのでしょうか。
中には、より難解な数学を行うための数学もあるのです。(それこそABC予想とか)
いや、そもそも当たり前に使っている「1・2・3」もこれでやると都合がいい、言い換えると意味が通るというだけです。
これが正しいことだという証拠何一つないのです。
つまり数学の中には意味をもたないものもあるわけです。
となると意味のないものに「これが答え」みたいな正解的な意味を求めても見つかるはずがありません。
ここでもう1つ問いを出したいと思います。
なぜ多くの人はこの割り算の分数のタイミングで意味を求めるのでしょうか?
それは「できない」に大きな誘因があるように思います。
子どもがけんかすると原因を相手のせいによくしますが、これと同じです。
「できない」ことを「意味」のせいにしているわけです。
もっと言えば「何のために数学を勉強するのか」という問いが生まれるのはおそらく「数学ができない(と思いこんでいる)人」ではないかと思います。
・・・分数の割り算の話からかなり規模の大きい話に発展しましたが、分数・小数というものが数の性質的にも学習段階的にも重なるタイミングなのでしょう。
この話は大抵の人は知ろうが知らなかろうが知ったこっちゃない話でしょうが、教育者はこのトリックを知っておくべきことのように感じます。
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