【連続投稿83日目 1421投稿目】
【作成日時:12/10 13:54~14:31、37分】
前回に引き続き、今回も『世界は贈与でできている』(以後『贈与』)のオンライン読書会に参加しました。
(前回の様子はこちら)
itasan-kibunyasan.hatenablog.com
『贈与』の力なのか読書会の力なのか参加者の力なのか分かりませんが、前回もでしたが「そういえば」と自分の過去の出来事が思い返されるのです。
それも自分からは話すことがないような、自分としては忘れるほどの些細だと思っていたようなことなのです。
前回は前に働いていた学習塾で指導していた時の生徒や保護者との関わりのちょっとした一場面でした。
そして今回は学童保育に携わっていた時に起きた出来事についてでした。
『贈与』に
イスラエルのある託児所。この施設は、親たちが子供を迎えにくるのが遅いという問題に直面していた。
そこで託児所は、遅刻する親たちに罰金を科すことにした。
するとどうなったか。予想に反して、親たちは遅刻回数を2倍にするという反応を見せた。
という話が出てくるのですが、その話からほかの参加者はこういった罰則の受けてからの意見が出てきました。
その中でふと、学童保育をしていた時に自分は迎えの遅れで罰金を与えた側の経験があったことを思い出して話しました。
しかしその時のことを振り返ると、会社の決まりということもあり要求していたものの僕が就く前から決められていたことだったので決定の過程には関わっておらず、僕としては申し訳なくも思いながら了承をしてもらっていました。
その当時はこの出来事はその時限りなもので深く考えてもいませんでした。
それが時を経て今回の読書会で『贈与』の本を通して、なぜ僕があの時に罰則を与えたことに対してなぜ申し訳なく思っていたのかが説明ついてしまったのでした。
その理由は『贈与』でいう「交換の論理」と「贈与(=お金で買うことのできないもの(人からのプレゼント、商品価値を超えた「余剰」を帯びているもの)およびその移動)」が共存せず同時に存在してしまったことからのジレンマが生じたことにあるのです。
仕事のやりがいは贈与によって規定されるとも書いてあるのですが、僕の出来事は非常に合致するのではないかと思います。
前回も今回もどうしてあんな出来事を掘り返されるのだろうと不思議でならないのですが、そういった妙な面白さが対話から生まれる読書会です。
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今後のイベント予定
1/14(日)10:00~17:00 経営ゲーム塾C @寺子屋塾
1/21(日)13:00~17:00 インタビューゲーム会 @街と珈琲