最近では特に家庭教師で中学生の子に学校で起きたことについての話をする時に、よく「自分ごと」になっているかが大切という話をよくします。
ですが広く考えれば仕事に対してであったり人間関係の面からでも同じような話が出てくるかと思います。
ですがこの「自分ごと」という言葉、ビジネスで用いられることもある言葉のようですね。
「自分ごと」という単語を調べてみるとビジネス系のページがいくつも出てきました。
ただ目を通してみると、すべてかは分からないですが、僕が使っている意味合いとは異なっているように思いました。
ビジネス系で使われる「自分ごと(事)」という言葉は「当事者意識」とも言うこともあるみたいですね。
他者によって与えられた目的に対して自分が納得できるということが「自分ごとになる」ということにあたる、と言えるのではないでしょうか。
そのためにゴール設定やその人への裁量の自由度を与えること、などといったことによって「自分ごとにする」ということになるでしょう。
このような解釈だとただ与えられただけよりは自分に寄っているかもしれませんが、それでも結局は会社から与えられて動いていることには変わらないでしょう。
僕がまず思うのは、「自分ごとにする」という話が出てくるのは「与える-与えられる」の関係になっている時だということです。
学校であれば宿題を出されているとかテストがあるとか、仕事であればタスクや責任を請け負うとかです。
こういったように他者から言われてしていることというのは受け身になっている可能性があります。
与えられたことに対して自分がどうしてそれをやっているのかという意義を見出していないかもしれないわけです。
そしてある時に自分はどうして今こうしているのだろう?・・・と自分を見失ってしまう、なんてことは少なくないことでしょう。
だから与えられたことだったとしても「自分のためになる」ことを見出して、自己の意義や目的を上書きする、それが僕が使っている「自分ごとにする」ということです。
他者のものであるか自己のものであるかという違いもありますが、もう1つ違うのはそれを自己のどこの部分で捉えているかです。
ビジネス的な方は頭で考えて(不自然に)すり合わせているということが生じていないでしょうか?
それに対して僕の言う「自分ごと」は心で捉えているのです。
その過程では「与えられているもの」という事実を受け入れることが出てくることでしょう。
しかしながら、だからこそ与えられていることを含めて自分が成したいことが湧きおこってくるのです。
そうなっていれば少なくとも自分はどうして今こうしているのだろう?・・・と自分を見失うことはないのではないかと思います。
最初はこの「自分ごと」という言葉を人に使う時に気をつけないといけないと思った次第です。
しかし違いをひも解いてみると世の中の在り様が分かってくるようにも感じました。