気分やさんの気ままなブログ

【実は分身していた】

itasan-kibunyasan.hatenablog.com

 2週間ほど前に書いたこの「妄想録」ですが、まさかの寺子屋塾の井上先生のブログのテーマとして取り上げられました(笑)

terakoya-juku.com

 その内容を読んでみるとしてやられたと思いました。

僕が分身したらという話からコミュニケーションがいかなるものかという問いを見出したわけですが、井上先生はそこに文章を書くということだと思われたわけです。

それがどうしてしてやられたかと思ったかというと、僕も過去に同じように思ったことがあったからです。

確かブログで書いたことがあったような気がしたので探してみたところ、なんと寺子屋塾に入った当初に書いていました。

 

 2つ目はプリントを通して自分と向き合うという不思議さからです。ただひたすら計算をやる、それだけなのにどうしてなのか?ただ、まだふんわりしたイメージなのですが、自分と向き合うとか考える場面は生きているいろんな時にあり、それらと何ら違わないような気がしています。だからプリントをやればもっといろんなことに対して深く考えることができるようになる、そんな気がしたのです。

(中略)

問題が解けないことに向き合ったり、できたことに感動して楽しさを感じてもっとやりたい・考えたいと追求・追究することというのはまさに主体的で対話的で深い学び、巷で有名な「アクティブラーニング」じゃないか、そう思えて仕方なかったのです。よく「アクティブラーニングはグループ学習じゃない」と聞きますが、この学習こそそうだと思ったのです。

この頃にはこれが自分が分身している、つまりはプリントに映し出された自分を自分が観察する、というところまでは考えてなかったです。

しかし今となってはこの営みが一種のコミュニケーションだと思えます。

ですが、2週間前のブログを書いた時にはこういった見方が出てこなかったというわけです。

いやー、悔しい。

 

 しかしながら、やっぱり問いの答えは自分の中にあるものなのでしょうね。