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【やり抜く力で必要なのは「情熱」をもち「続ける」こと】

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 昨日から『GRIT やり抜く力』のアウトプットを始めました。昨日はGRITの「粘り強さ」についてのことでしたが、今日は「情熱」の方にも触れます。

 

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 ものごとをやり抜くには「情熱」が必要と書かれていました。しかし難しいのは「情熱」と「粘り強さ」は独立した要素ではなく関係性をもっているのです。

どういうことかというと「情熱をもち続けること」が必要なのです。

いっとき200%の爆発力を発揮してその後には燃え尽きた、それではダメで、100%を保ち続けることが成功するために必要なことだと言っているのです。

これこそ正に僕の課題だなと感じました。その時々でムラがあるのです。

 

 「情熱」とは「ひとつのことに専念すること」と書かれています。ひとつのことに専念し続けられるようなことというのはそうそうあるものではありません。

そのためここではそれに必要なもの、目標を立てることが大切ということも書いてあります。

いくつもあっても枝分かれ状につながりあっている一貫した目標です。その中でも頂点にある目標が「究極の目標」になります。

この部分は寺子屋塾でやっている「未来デザイン」と、使われている言葉は違えど、同じことを言っているようでした。

 

 この4章・5章については一番自己対話をしながら読んだ部分でした。

というのは著者と学生のやり取りで、学生の将来の働き方の展望の話が載っていて、学生は何年も同じことはしないだろうと考えていました。

それに対して著者は、別の分野(=目標)にあれこれ手を出しているようではだめだ、と助言したのでした。

まさにそれが社会人になってからの自分に当てはまることなのだろうかと考えたのでした。

3年間は学校で教える仕事をして、しかも授業は1年しかしていないけれど4年目は時計を販売するという仕事を選んだのですから。

やり続けたことで切り開けたということもあったかもしれないとは今でも思うことがあります。

それでも今の自分を受け入れられるのは、(「究極の目標」ではないにしても)選んでいることが自分の中で筋の通っていることだからです。

コミュニケーションを大切にすること、仕事というものをいろんな観点から見て自分に合っていること、それこそ「究極の目標」の手がかりを見つけること、という筋です。

そういう点では社会人になってからの4年とちょっとは目標に向かってやり抜いていると思えます。

 

 そしてもう1つ自己対話したのは、このブログをやり抜けているかという自問です。

全く書いていなかった期間も長くあり、書いている今日このごろでも空いてしまうことがいっぱいあります。この状態をどうとらえるのがいいのかということです。

自分で出した結論は、粘り強くはやれているけど情熱をもちつづけられていない、です。

ブログを書いていなかった日・期間も書いてはいないものの、いつもブログのことを考えてはいたのです。「書かないと」「今は書くのはやめよう」「書くことないかなぁ」と。

そういう意味ではブログを書くことと向き合い続けてはいたのです。

ただ、書かないと決めた期間を除いて、書かなかった時があるというのは情熱を持ち続けられていなかったということなのだと思います。

そのためにはどうしてブログを書いているのかということを改めて考えるべきなのだろうと感じました。

 


 最後は余談ですが、今回の部分にこの本の中で最も笑った内容がありまして。

たとえば、いまの子どもたちは、つぎのような質問にも答えられる子が多い。
「イヌとウサギは、どんなところが似ていますか?」
子どもたちはこんなふうに答える。(中略)
「両方とも哺乳類です」
このような回答は満点を獲得する。
いっぽう、100年前の子どもたちに同じ質問をしたら、(中略)
「イヌはウサギを追いかけます」
残念ながら、0ポイントだ。