気分やさんの気ままなブログ

【「インタビューゲームのルール」から考えるルール作り】

 昨日の投稿、インタビューゲームをやっての話の続きです。

 

今一度、ルールについてはコチラ

 

 今回が初めてのホスト役ということで自分でルール説明の用紙を準備しました。これまで自分がやってきた時に使ったものを作るにあたって参考にしたはしたのですが、それでも打ち込むという作業によってすべてのルールを一字一句、全部に目を通すことになったわけです。すると何度もやってきたとはいえ意識していなかったことや書いてあるとは知らなかったことがあったのでした。例えばカードに書かれた内容に関してで、第3者に知られたくないことが書かれていたら削除をしてもらうといったことが書いてありましたが、実はこういうことも書いてあったんだと思いました。

 

 そして振り返りの時にもインタビューゲームのこのルールのことが焦点にもなったのでした。例えばこれは以前にも書いた話ですが、最初のルールとして

①「聞く自由」(何を聞いてもいい)

②「話さない自由」(聞いてきたことに対して答えなくてもいい)

③「話す自由」(質問されていなくても話していい)

とこの順で設けられています。ではこの順番が逆(「話す自由」→「話さない自由」→「聞く自由」)となっていたらどうでしょう?これは普段の会話、あるいはどんよりした会議とかアブナイ会議の様子ではないでしょうか?(笑)(聞き手・話し手が分かれているのがまだ完全には同一でないか)

 

 そしてですが、カードの書き方に関するルールを参考にしたものとは少し順番を組み替えてみました。変えた方が説明の流れとしてよくなるのではと思ったからです。ただ、しっかり深くまで考えられているものということでもとの順番に何か意図があるのではないかとも思っていました。そのことを聞いてみたところ、もうちょっと別の並べ方をした方が自然だと思ったそうです。ですので今度はそれを取り入れようと思います。

 

 そしてこのルールの作られ方はどのような場でも生かせると思っています。インタビューゲームにはルールと注意事項があり、ルールは「自由」(できること・やっていいこと)、注意事項は「推奨」(守った方が充実したワークになるだろうというもの)の2つがあります。ですが注意事項は、数やっていくと知っていくことになるのですが暗黙のルール(書かれていない、守りきれない)部分があるのです。例えば「聞き手は聞くことに徹する」ということが書かれています。ですが、聞くにあたってうなずき・あいづち、さらには「分かる!」と声を発しての共感をすることだってあります。すると「これって話していない?」と思えてくるのです。つまり「聞く」の線引きはと思えてくるのです。他には話し手が聞くことに関して何も与えらえていないのです。「聞かないように」とも「聞いていい」とも書かれていないのです。

 

 じゃあ厳密にルール化する必要があるのでは?必ずそうとは思いません。暗黙のルールは暗黙のルールのままでもいいことがあると思います。子どもの気持ちになってみてください。何か問題を起こしました。しかしそれはルールにないことでした。そこでそれはダメだとルールを作りました。さあ子どもの気持ちはどうで次にはどのようなことが起きうるでしょうか?「うっざ!じゃあこんなことやってやろー!」こんな気持ちになって次の問題行動を起こしてしまうのではないでしょうか?この流れって結局は完全に解決することってないんですよね。解決できないのです。ですからルールを厳密化していくのは無駄なことがけっこう多いのではないかと思います。(場合によっては厳密化する方がいい場合もあるとも思っています。)暗黙のルールに手をつけた時、このインタビューゲームはやりながら両者の間で合意形成が生まれるのです。例えば声を出して共感したとします。これに対して相手も否定することはまずないです。相手を受容します。そして自分もやってみようということになることがあります。そうなれば言葉を交わさずとも「うなづきはOK」というルールができているのです。それが振り返りで出れば表面化されて暗黙から正式なルールに昇華されるわけです。長くなりましたが相手の行為を否定するか受容するかが大きな分かれ目なのではないでしょうか。

 

 昨日はルールの用紙を相手の方があまり見ていなかったことに対して自作だから見てほしいという気持ちが強いと思っていたのですが、改めて考えたらルールが深いことを感じてもらいたかったのではないかとも思いました。